城の各居室をご案内。
この肖像画はどこかで見たことがあります。特徴ある顔とライオンの
たて髪のようなヘアー(笑)
彼の有名な「太陽王」ルイ14世ではありませぬか。
然し、何でこの肖像画がここにあるんだろう?この城とルイ14世との
係りは余りよく分かりません。彼の王位継承後、数回はこちらに来て
いるようではありますが。
この肖像画はどこかで見たことがあります。特徴ある顔とライオンの
たて髪のようなヘアー(笑)
彼の有名な「太陽王」ルイ14世ではありませぬか。
然し、何でこの肖像画がここにあるんだろう?この城とルイ14世との
係りは余りよく分かりません。彼の王位継承後、数回はこちらに来て
いるようではありますが。
天井の廻り縁にそっと置かれていた王家の紋章。
この城はロワール川一帯の古城観光の中でも一番人気と言われて
います。その理由は城のカタチそのものが洗練されていることと、
この城の持ち主の変遷に理由があるのかも。
城の最初の建設は1411年、ジャン・マルクという民間人によるもの。
その後持ち主が変わり、フランソワ1世の時代に国庫に没収と相成り
ました。フランソワ1世の没後、アンリ2世の時代に彼の愛妾ディアーヌ・
ド・ポワチエ(上の写真 なかなかの美女です)の居宅となります。
彼女はこの城を非常に気に入り、シェール川を渡る橋を建設(現在は
建物になっている)、玄関前の車回しの広場等改築を重ね、ほぼ現在
の城のカタチにしました。
然し、アンリ2世は1559年に騎馬試合の事故で死去。そうなると正妻
のカトリーヌ・ド・メディシスは黙っていられません。摂政となっていた
彼女はディアーヌを追い出し、自分がこの城を利用するようになります。
います。その理由は城のカタチそのものが洗練されていることと、
この城の持ち主の変遷に理由があるのかも。
城の最初の建設は1411年、ジャン・マルクという民間人によるもの。
その後持ち主が変わり、フランソワ1世の時代に国庫に没収と相成り
ました。フランソワ1世の没後、アンリ2世の時代に彼の愛妾ディアーヌ・
ド・ポワチエ(上の写真 なかなかの美女です)の居宅となります。
彼女はこの城を非常に気に入り、シェール川を渡る橋を建設(現在は
建物になっている)、玄関前の車回しの広場等改築を重ね、ほぼ現在
の城のカタチにしました。
然し、アンリ2世は1559年に騎馬試合の事故で死去。そうなると正妻
のカトリーヌ・ド・メディシスは黙っていられません。摂政となっていた
彼女はディアーヌを追い出し、自分がこの城を利用するようになります。
ディアーヌさんの居室。暖炉の上のイニシャルもアンリのHとディアーヌ
のD、更にカトリーヌのCが組み合わさっているように見えます。尚、城を
追い出した後、カトリーヌはディアーヌの調度品の殆どを処分し、彼女の
往時の生活を偲ぶことは出来ないようです。
のD、更にカトリーヌのCが組み合わさっているように見えます。尚、城を
追い出した後、カトリーヌはディアーヌの調度品の殆どを処分し、彼女の
往時の生活を偲ぶことは出来ないようです。
こちらの暖炉にはフランソワ1世の紋章「火トカゲ」が象られて。
尚、この城を彩ったその他の女性についてはまた別途ご紹介
しましょう。
尚、この城を彩ったその他の女性についてはまた別途ご紹介
しましょう。
Phoenix 東北&関東
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