2007年06月10日

能登の旅(11) 半島西海岸を歩く(千枚田の手前で)

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二泊三日の旅も今日が最終日。何と朝4時過ぎには起きてしまい
ましたよ。北陸の美味しい魚を食べて、お酒を飲んで、温泉に
入って、またビールを飲んで。はは、直ぐに寝てしまいました
ので。然し、もうこんなに明けているんですね。びっくり。

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下界の七尾南湾。こちらは相変わらずの静かな海であります。
多少もやがかかっていますね。朝日を拝んだところで朝風呂に。
いいですね、朝一番で、朝日を浴びながら露天風呂というのは。

さて、今日もバスに乗って能登半島の西海岸を歩いて、そして
午後には能登空港へ。

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珍しいですね。藁葺き屋根をこちらでたった一軒見ましたよ。
北陸の屋根って現在では特徴ある黒がわらが多いですよね。なんで
あんなとろとろの黒の派手なかわらなのかとずっと不思議に思って
おりました。地元の人の説明では、やはり雪が関係しているとの
こと。今は積雪が少ないのですが、昔は豪雪地帯であったと。
そのため、瓦に釉薬を縫ってとろとろにして、雪をすべり落として
という工夫なんですって。なるほど、生活の知恵であった訳ですね。

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これは唯一私が観た地震の被害の後です。この先で道路が分断され
ていました。がけ崩れがあって、ここだけ補修が完了していない
そうです。我々もそうでしたが、西海岸沿いの道路が未だに分断
され、地元の方はさぞ、生活に不便なことでしょう。

頑張って下さいね。





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ラベル:千枚田 能登
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2007年06月01日

イタリア旅行記(61) ローマで最後の昼食

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これがイタリアで最後の食事。ピザ屋さんです。ピザ屋というけど、
かまどで焼かないのものはピザと言わないんだとか。流石スロー
フード発祥の国であります。ここでピザ屋なんて言い方をしまし
たが、かなり立派なレストランでありました。

これは店の室内に飾られたオブジェなんですが、ロープの結び方
なんですね。これ、ヨットをやった方だと喜ぶんじゃないかな。

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おお、結構イケメンのボーイさんが給仕してくれてますよ。出て
きたのは下のスープ。

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お豆のスープです。結構うまかったです。ピザは30CMくらいの
大きさでありましたでしょうか。これで一人前。私はピザは主食
じゃないと思っているので(お酒のつまみじゃないか)、これが
ランチと言われるとちょっと不満。出来たらスパゲッティも欲しい
(笑)
皮の薄い台のタイプでありました。パリパリ感がいいですね。
結構うまかったです。

むむ、量的に不満が・・・スパゲッティも食べたい(笑)

ところで今回の旅行中に気づいたことが。昔、イタリアに来た時
にはどこでもオリーブ・オイルがテーブルに置いてあったけど、
今回は一回も見なかった。変だな。ツアー客だから隠したのかしら。
チリ・オイルとかバージン・オイルで美味しいのがあって、パン
にそれをつけて食べるのが結構美味しいんですが。

不思議、不思議。





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ラベル:ピザ
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2007年05月21日

イタリア旅行記(60) トレビの泉 スペイン坂とか(そのいち)


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ローマの定番観光地です。トレビの泉。
相変わらずの人、人、ひと。この泉に後ろ向きでコインを投げると
幸せになれる、素敵な恋人に巡り合えるということで、若い男女が
コインを投げ入れる姿が後を絶ちません。

奥様もコインを投げていたのはなぜ?

はは、女性って投げるという行動に慣れていないんだな。届かなくて
池の端で佇んでいたちょっと後退気味の男性の頭に当たって、滑り
降りて池にぽちゃん。

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池の端で客待ちの馬車のお馬さん。この日はまるで夏の太陽で
ちょっとばて気味なのが印象的でありました。

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こちらも定番のスペイン広場。あのローマの休日で有名になった
ところです。相変わらずの人気ですね。階段に腰を降ろしてずっと
座っている観光客たち。どうも日本人はせっかちというか、こう
いう風にただじっと座っているというのはなかなか出来ませんね。

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階段前にはこんな噴水が。船の形をしています。例のかち栗です。
結局最後まで食べる機会がなかった。次回はぜひ挑戦したいなぁ。





(続く)
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2007年05月18日

イタリア旅行記(58) ローマで最後の夕食


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愈々イタリアの旅も終わりに近づいて来ました。
こちらのレストランがイタリアで最後の夕食であります。最後と
いうことでカンツォーネを聴きながらの会食となりました。

然し、それにしてもカンツォーネも馴染みが薄くなりましたね。
昔は一世を風靡した歌が多く、サンレモ音楽祭なんていう世界的
なイベントがありましたが。考えてみたらポピュラー音楽の音楽祭
というのも世界的に聞かなくなりましたね。レコード文化がCDに
なり、それもituneに代表されるようにインターネットでダウン
ロードされる今では、こういうイベントをやってレコード売上げ
を期待するというビジネスではやっていけないということなんで
しょうね。ちと寂しいものがあります。

ということで、この夜の会食も余り私的には盛り上がらなかった
のですが、一緒のツアーの方の中にはリピーターさんなぞもいら
っしゃって、一部ではかなり盛り上がっておりました。

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うひひ、やっとハムにありつけたですよ。イタリアとかスペインの
ハムって種類が多くてうまいんだなぁ。出来れば、メロンのスライス
で結構なんですが、それも添えて欲しかったのですが。でも、この
ハム、ソーセージはそれほどしょっぱくなかったのでそのままでも
美味しく戴けました。

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トマト・ソースのペンネです。この単純な料理がまたいいんだな。
やはり本場というか、トマトがうまかった。いいトマトとペンネ
だけという単純な料理なんですが、ペペロンチーノ同様に単純な
ほど難しい料理ですよね。

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メインディッシュはこちら。あれ、豚だったか牛だったか、忘れ
ちゃった。多分写真からすると豚さんのように見えます。この頃に
なるとワインをたらふく飲んでいたので、よく覚えていない(爆)
味はまぁまぁだったかな。

歌も入って、こちらも賑やかに最後の晩餐を愉しみました。

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デザートはこちら。普通のティラミスですね。結構でかかった。
味も大味でございました(笑)






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ラベル:ローマ
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2007年05月12日

イタリア旅行記(57) ナポリで土産物を買うの巻

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ナポリと言えば、カメオが有名ですよね。案内されたのは
ポンペイの帰り道にあったカメオ工房。奥様の目がきらきら
輝き始めて、むむ、これはやばいと思ったですよ(笑)

これは美術館に展示された巨大なカメオ。縦横20cm位
ありました。カメオって貝殻を彫ったものなんですね。
恥ずかしながら工房を見るまで知らなんだ(笑)

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こちらがこの工房の巨匠でございます。上の作品はこの方が
お造りになったそうです。最近久しくカメオを見たことが
なかったのですが、顔が随分と現代的になっていますね。これ
も時代の反映なんでしょうね。奥様が可愛い、可愛いと叫んで、
その度に私の小さな胸がどきどきと(爆)

そういえば博多人形も今ではあの典型的なぽっちゃり顔なんて
まず見ないですよね。顎が細くて、えっ、これが博多人形って
思っちゃう。

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こちらは一番弟子の方です。彼の工具と一緒に。随分と色々な
種類ののみを使うんですね。

こういう現場を見せられるとやはり弱いですね。結局、奥様用
と家族へのお土産をここで購入。まぁ、いい記念でございました。

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これは途中で寄ったドライブインで見つけた様々なピノキオ
さん。流石本場だけあって、色々なピノキオさんがいますね。

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このキャラクターはどこかで見たことがありますが、はて何で
ありましたか。右はよく知っていますよ。ひゃは〜、イタリア
でも人気があるんだ。いいですねぇ、頑張れ、どらえもん!





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ラベル:カメオ
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2007年05月11日

イタリア旅行記(56) ポンペイ(そのろく)


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恐らくこれは神殿の跡だと思います。ヴェスヴィオ火山を
バックに。当時は噴煙をたなびかせていたんでしょうね。
然し、火砕流がこの街を潰したとすれば、こんなに柱が
残っていた訳はないなとこの時思った次第。恐らく、発掘後
復元したんでしょうね。


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神殿へのゲートであります。およそ1万人の人口にしては
随分と立派な神殿を擁していたと想像されます。やはり相当
の財力があったんでしょうね。ナポリが近いということは
東西貿易で財をなした人達の別荘みたいな位置付けであった
のかしら。でも、娼館があったということは、それなりの
人の行き来があったのでしょうから、交易の場でもあったの
かしら。どうも、周辺の街並みを見てもこのポンペイの発展
の歴史が見えて来ません。ちょっと不思議な街であります。

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ぎゃは、ワンコたちが不思議な格好をして寝ていますよ(笑)

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道路が一部切れている箇所がありました。ははぁ、結構分厚い
舗石を使っているんですね。これは石を集めるのに苦労した
でしょうね。表面を平らにするのも大変。こういうところが
伝統的に彫像の文化の発展に繋がっているのかな。

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さて、すっかり古代の遺跡を堪能しました。中東でもローマ
時代の遺跡は沢山ありますが、それより前のギリシャ文化
の遺跡ってより興味深いですね。神と人間が自由に行き来
していた神話の世界のほうが想像力をより使える楽しみが
あるからかな。

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遺跡の傍らでひっそり咲いていた花。名前は分かりませんが、
しべの出方が面白いですね。





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ラベル:ポンペイ
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2007年05月10日

イタリア旅行記(55) ポンペイ(そのご)


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これは街の中央に当たる場所の遺跡の一部。屋根や壁はなく
なっていますが、不思議と柱は健在です。ということはマグマ
の流れで壊された訳ではなさそうです。柱はギリシャ建築です
ね。

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この遺跡の傍にこんな彫像が。むむ、ローマの彫刻と違い
市井の人という感じが親しみを覚えます。この姿、奥様の
中学時代の友人に似ている。思わずパチリ。彼は何と体脂肪
が3%であったことも。今は増やす努力をして10%を維持
とか言っていますが、私にしたら何と贅沢な悩みと思えます。

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街並みの向こうにはこの被害をもたらしたヴェスヴィオ火山
がかすんで見えています。

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この辺りの住宅に見られた床タイル。綺麗ですね。特に左側の
幾何学模様は光の加減で立体的に見えたりして。なかなか面白
いです。右側は日本でもこの技法はよく使われていますね。

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こちらは豪商の館の柱の遺跡。中庭が広くて当時の隆盛を
誇った様を容易に想像できました。後から植樹したのでしょう
か、椰子の木が大きく茂って。人の作った遺跡と自然の対比
って結構残酷なものがありますね。人間の営みは長い地球の
歴史のタイムスパンで見ると本当に些細なものなんだと実感
します。





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ラベル:ポンペイ
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2007年05月08日

イタリア旅行記(54) ポンペイの遺跡(そのよん)



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町屋の遺跡です。こういう姿を見ると紀元数百年の人の営み
と今の我々の営みの違いがよく分からなくなってきます。
違いってなんだろう。電気があるのは大きな違いですね。
電子機器があるのも違います。大まかな見方をするとエネル
ギーと商品の数が違うくらいかな、なんて思ったりして。

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これは18禁の絵です。
この営みだけは全く変わっていない(爆)
娼館というのがありまして、これが結構でかい。小さな部屋に
分かれているのですが、その部屋の入り口に掲げられた絵です。
ガイドさんの話では、当時はそれぞれの部屋に掲げられた絵が
示す体位によって、え〜と、そのお値段が違っていたそうです。
はぁ、私から見るとそれほど値段に違いが出るような差異は
分かりませんでしたが。すんません、経験不足で(爆)

なんというかツアーの女性客が熱心に見ていたのが印象的で
ありましたが(笑)

でも、この絵が示すものは別として、この絵の達者なこと。
それまでフレスコ画の宗教的な絵画を沢山見てきた私にはかなり
強烈な印象を受けました。もともとこういう写実的な絵は市民の
中にあったんじゃないか。それを宗教という枠で逆に閉じ込めて
いたんじゃないかという仮説。確かにルネッサンスというのは
ローマ的なもの、呪縛から逃れる運動であったのかも知れません。
こんなことをふと思いながらずっとこの絵を観ていたかったの
ですが、イタリア人の若い女性ガイドさんは、やはり恥ずかしい
のかな、先を促してくれちゃって・・・
イタリア人の中でもこの遺跡にこういうものがあることを心良く
思わない人が結構いるそうです。

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こちらは商人の家の壁に描かれた肖像画と動物の絵。ライオン
が獲物を襲っている図ですが、結構いい絵です。力感が溢れて
いるというか。当時からかなり高い文化を持っていたことを
うかがわせます。





(続く)
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ラベル:ポンペイ
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2007年05月07日

イタリア旅行記(53) ポンペイ(そのさん)



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これは大きな商家のパティオでありましょう。緑の中に例の
案内人のワンコがいつの間にか気持ち良さそうに寝ています
(笑)

この商家には貴重なものが。

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ガラスに納められた噴火当時の人の遺体が陳列されておりまし
た。まさに業火に焼かれ最後の臨終のその瞬間です。でも、表情
はそれほど苦しんだ様子が見とれないところが救いでしょうか。
今回は見られませんでしたが、まさに苦しみ悶える様が窺える
遺体もあるそうです。

ここで遺体と言うのはちと語弊があるようです。というのも
このレプリカは、遺体が灰で覆われ、肉体がチリになった空洞
に石膏を流し込んで再現したものだと言います。然し、考古
学者ってよくこういうものも発見し、保存するものですね。
ちょっとびっくり。

遺体は二体ありまして、ガイドさんの説明によると左はこの商家
の人で右(足しか写していませんが)は奴隷とのこと。奴隷ゆえ
サンダルを履いておらず、素足であるとのこと。

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この遺体があったお宅の壁に描かれた文様です。漆喰に描かれた
ものと見ましたが、結構現代でもはっきり分かるのが嬉しい。
描かれた当時はきっと色鮮やかであったことでしょう。

この文様を見るとギリシャ、ヘレニズムの影響かななんて思い
ます。今でもアラブの国ではお金持ちの住宅に行くと漆喰に
思い思いの文様を描いております。ただ、やはり伝統技術と
いうのはなかなか承継が難しいようで、こういった技術が残って
いるのは今ではモロッコあたりじゃないかと私の友人のアラブ
人が言っておりましたが。





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ラベル:ポンペイ
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2007年05月06日

イタリア旅行記(52) ポンペイの遺跡(そのに)


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こちらは商店街のようです。道幅が前にご紹介した住宅街と
違い広いのがお分かりになると思います。道路巾は殆ど変わり
なにのですが、歩道の巾が倍くらい広い。
道路は歩道よりかなり落ちています。その為渡り用の石が
置かれて。その間には長い間使われて舗石が磨り減っている
のが分かると思います。馬車の轍の跡なんでしょうね。轍
跡が二本しか見えないので、ここは一方通行であったのかしら。

この歩道と車道に段差があるのが疑問。ガイド役のイタリア
女性に聞いてみましたら、グド・クエッションと誉められた。
この街には水道はあったが、下水はなかった。それで雨が降
った時にはこの車道を下水代わりにしたとのこと。なるほど、
なるほどであります。山の中腹でありますし、一旦雨が降ると
結構汚物は傾斜を利用して流れてくれたでしょうね。古代人
の知恵に感服。

この商店街にはパン屋(というのかな)の跡なぞはかまど、
臼がそのまま残っていました。特にかまどはピザを焼いて
いたのでしょうか、今のピザ焼き窯と全く変わらない姿が
あったのにはびっくり。
前にも述べましたが、ピザはナポリで発祥して、中東から
伝えられたナンが原型と言われています。

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こちらはもっと広い道路を持った通りです。公共施設が多く
配置され、豪族・豪商が住んでいたようです。ここには例の
下水用の段差がありません。地形が平らであることも関係
しているんでしょうね。

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これはローマ時代の水道管という説明がありました。びっくり
です。何で出来ているんでしょう。多分石かな。現代でも十分
通用しますよね。ところで貯水槽、浄水場ってどこにあるの?
残念ながらその発掘は未だのようでありました。





(続く)
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ラベル:ポンペイ
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2007年05月05日

イタリア旅行記(51) ポンペイの遺跡(そのいち)


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愈々、楽しみにしていたポンペイの遺跡です。中東に長く
滞在して紀元前の遺跡に慣れている私はやはり中世の建築
物より、この時代の建築物に興味があるようです。

上の写真は遺跡の入り口。この古代の遺跡はなだらかな丘
の斜面にありました。

ポンペイはヴェスヴィオ火山の大噴火により紀元79年に壊滅
し、火山灰と溶岩に覆われたとあります。当時の人口は最盛期
で二万人。かなりの大都市であったことでしょう。
当初は反ローマの都市国家のひとつであったようですが、紀元
前89年にローマにより征服された。大噴火はローマ征服直後
ということになります。ということは、寧ろ当時の同盟国で
あったギリシャの影響が色濃くあるんじゃないかと、興味津々
であります。

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遺跡の入り口の前で我々を待ち受けてくれていたワンコ。はは
彼(彼女?)は先頭に立って我々を途中まで案内してくれたで
すよ。

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なるほど柱の形をみるとギリシャ建築ですね。右の写真は
劇場の遺跡です。擂鉢型の劇場。規模からすると数千人は
収容可能と見ましたが、人口2万人規模であるとするとかなり
大きな劇場と言えます。

擂鉢の底が舞台なんですが、この一部に立って声を出すと
凄い響くんです。日本でも「鳴き龍」というのが日光にあり
ますが、こういうオープンな場所で共鳴装置が出来るんで
すね。ちょっと驚きでありました。擂鉢型の円形劇場という
のがその秘密の鍵かも。

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多分この通りは住宅街だろうと思います。車道は巾6Mくらい
でしょうか。両脇の歩道が1M強。これがこの住宅街のモジュ
ールのようです。

車道が歩道より一段と低くなっています。この理由は後ほど
ご説明しましょう。





(続く)
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ラベル:ポンペイ
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2007年05月04日

イタリア旅行記(50) ポンペイの昼食



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この日の昼食はポンペイの遺跡の手前のレストランで。団体客
でごった返しておりました。ワインを頼んだのですが、愚息が
このラベルを見て妙に興奮。いや、結構安い割にはうまいワイン
でありましたが、そんなに興奮するものではないだろうに。
愚息に聞いたら、このワインのブランド名と同じ名前のインディ
ーズのバンドがあって、それが同級生だったとか。記念にラベル
を剥がして大事そうにバッグに納めておりました。

とんだところで彼はいい思い出が出来たようです。

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前菜はアサリのボンゴレ。いやぁ、久し振りに懐かしい味で
嬉しかった。アサリがうまかったです。パスタの茹で方はいま
いち。まぁ、しょうがないか。 

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メインは豚肉。これは結構いけたですね。豚さんがうまい海外
って意外と少ない。中国がうまいかというと結構そうでもなか
ったり。不思議なことにケニアのナイロビではどこのスーパー
で買ってもうまかったですね。あれは一体ナンなんでしょう。

流石スローフードのお国柄。野菜は美味しいですね。味がちゃんと
ある感じ。

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デザートのアイスクリームです。これもまあまあでした。旅行
も後半に入ると料理も多少まともになってきました。これは
旅行会社の陰謀か。はは、最初良くって後悪くなると収拾が
つかないでしょうね。まして私みたいのが参加すると大変な
ことになりますよね(爆)

え〜と、出てきた料理を見てやっと落ち着いて食べられました
(笑)






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ラベル:ポンペイ
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2007年05月02日

イタリア旅行記(49) ナポリ



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高速道路からナポリの街並みが見えてきました。あらら、
なんと高層ビル群が。
ナポリを前回訪問したのが18年前。その時はこんな高層ビル
なんてなかったですよ。

むむ、もう寂れる一方の街であろうかと当時は思ったのですが、
どっこい、ちゃんと再生しているんですね。

ナポリを見て死ね」という言葉があります。海岸線に広がる
街並みを称して古人がそういったんだと思いますが、現代の
我々には「えっ、どこが?」という感じであります。

はっきり言って汚い。18年前はもっと汚かった。愚息どもは
この景色を見て、「ねぇ、パパ、もうアラブに戻ったの?
旅行は終わりなの」と言っておりました。当時我が家族は
アラブの国に住んでおりましたが、彼等の言葉は言い得て妙
でありました。

それと思ったことは街の住人の我々を見る目が鋭い。獲物を
狙っているような熱い視線を感じて、その時もこの地は殆ど
時間を置かず、即カプリ島へ避難したものでした(笑)

今回のツアーもバスを降りないで、バスの窓外からの見学。
これは正解でしょうね。私も一人であれば街を歩きますが、
家族連れではちょっとかったるいです。

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海岸通りで営業している八百屋さん。まぁ、果物が沢山。
こういうのを見ると豊かだなぁって思いますね。新旧の
トローリーバス。格好いいですね。斬新なデザインですね。

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左は道中で見たお城。すんません、名前を忘れております。
右はミラノと同様にガレリアがありました。こちらは19世紀の
建築です。この建物は見たかったですが、ちょっと残念。

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へへ、ナポリの海岸線を背景にツーショットを。どうですか
この海岸線。昔の人は何を見て美しいと言ったんだろう。
何回見ても不思議。地中海沿岸の港は皆この位の風景は持って
いると思うんだけど。きっと当時は我々が見られない、経験
できない何物かがあったんでしょうね。

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海岸線に突き出すように城が。その隣では漁船でしょうか。
周りのブイみたいに点々としているのは定置網の目印かな。
ちょっと船が小さいのですが、一体何が取れるんでしょう。

ナポリでは魚貝のパスタを食べたことがありますが、とても
美味しかったですね。因みにピッツアはナポリが発祥。アラブ
のナンを改良したのが始まりだそうです。

さて、われわれはここからあの灰に埋もれたポンペイに。






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ラベル:ナポリ
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2007年04月30日

イタリア旅行記(48) ナポリへ



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さて、今日はローマからナポリ経由ポンペイの町へ。移動は
例によってバスであります。

ローマ市外を出るとやはりそこは南国気分。日差しはもう
暑いくらい。明るい田園風景が。

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イタリアは日本と似ていて南北に長い国。ミラノからナポリ
まで下ってくると気候が全く違います。そしてバスの窓外から
眺める山並もその趣を異にしています。

その昔、マカロニ・ウエスタンというイタリア製の西部劇が
映画界を席巻した時がありました。クリント・イーストウッド
の名作「荒野の用心棒」もそのひとつ。この山を見ていてもしか
したらこの辺りで撮影したのかな、なんて思ったりして。

こういう地形は北米でメキシコ国境の地形に似ていたこと、
イタリア人もメキシコ人に似ていたこと、主役級を米国から
一人持っていって後は現地調達という安上がりな映画が撮れた
ことで大ブームとなったと記憶しています。

もうひとつはジョン・ウエインが癌で死んだのですが、これが
ネバダ州の原爆実験場の近くに撮影場所があり放射能の影響か
とされたことも大きな要因であったのかも知れません。

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高速道路の途中のドライブインで見つけた食料品の数々。何れ
もうまそうです。多分食べても美味しいんでしょうけど、見て
いるだけで嬉しくもあり、お腹が一杯になった気がします。

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同じくドライブインで見つけたバイクのおもちゃ。黄色が
強烈ですね。ちょっと欲しくなっちゃった(笑)
それと驚いたのが、こちらにもがちゃがちゃがありましたよ。

ひゃ〜、多分日本から入れているのかな。

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ミモザの花ももう終わりかけています。こちらの方は既に初夏
の気候でありました。







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ラベル:ナポリ
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2007年04月29日

イタリア旅行記(47) アッシジの街中散歩


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アッシジは坂道の街。街並みが途切れたところから下の
平野がこんな風に広がって。

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やはり聖フランチェスコさんのお膝元。こんな可愛いマグ・
カップが。はは、面白いですね。

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多分肉屋さんの店先だろうと思うのですが。チーズかな。
よく分かりません。パスタ・サラダでしょうか。上に載って
いるのは何だろう。うまそうですね。こういうのを食べた
かった・・・

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ぎゃは、これは面白い。多分ハムでしょうか。こういう
ディスプレイは楽しいですね。

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バールの軒先の飾りです。ひとつはドラゴンですが、もう
ひとつはなんだろう。このドラゴンのカタチは日本のお寺で
見かける手水の散水口に使われているのと全く同じですね。

ドラゴンそのものの概念は中国から日本へ、ヨーロッパに
伝わったという。形が変わらないというのが面白いですね。
世界で普遍的なものになっているんですね。

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左の写真は他の古都でもよく見たのですが、道路に面した
各戸の玄関に近いところに必ずありました。想像するに、これ
はその昔、馬を繋いだものでしょう。日本に帰って色々調べ
ましたが、この想像は当たっていたようです。色々な意匠が
施されて、これを沢山写真に撮っておけば良かったと後悔。

お隣の猫はみやげ物ではありませんよ(笑)丸々としたミケ。
猫はどこでも威風堂々ですね。

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坂道を肩車しながら歩く親子。いいですね。昔、イタリアに
家族旅行した時、末子は丁度この子よりちょっと上の年で
ありました。はは、私もこんな格好で歩いていましたよ。
懐かしいな。

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さて、これでアッシジともお別れです。

♪I left my heart in San Francisco♪

サンフランチェスコさんの英語読みですよね。米国のあの
都市は彼の名前をつけています。ということはイタリア移民が
多かったんだろうか。何れにしてもフランシスコ教会派の人
が多かったんでしょうね。






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ラベル:アッシジ
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2007年04月28日

イタリア旅行記(46) アッシジの街中散歩


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聖フランチェスコ聖堂から見たアッシジの街です。街と
いうか山そのもの。この日はシエナの山道と山登りです。
でも、こじんまりとした散策にはもってこいの街であり
ました。

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山腹の中ほどに広場が。役場の前です。広場にはキリスト教
の象徴、平和の象徴のハトの飾りが。

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現地のかたなんでしょうか。縦笛を吹いている人。そしてその
横でじっとご主人の音色に耳を傾けているワンコ。

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みやげ物やさんのショーウインドー。やはりモチーフは
ダ・ヴィンチの最後の晩餐ですか。ちょっと構図が違う。
はは、やはりダ・ヴィンチ・コードの影響ですかね。





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2007年04月26日

イタリア旅行記(46) アッシジの昼食


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今まで食事の話がなかったのを不思議に思われている方も
いらっしゃるかも知れません。
実は海外旅行でツアーというのは私は初めてで、それも
三食付なんてぇのを選んだものですから。安いツアーだった
ので食事とホテルははなから期待はしていなかったのですが。

前回の家族旅行の時は適当に店に飛び込んで、客の料理を
見て入店を決めるという随分とお下品な店選びをしたもの
ですけど(笑)

はっきり言って食事を期待してはいけないということを実感
した旅でありました。何せ、団体でごったかえして、料理も
作り置きと分かるような・・・

これは聖フランチェスコ大聖堂に一番近い、多分この街で一番
と思しきホテルのダイニングでの食事。

お豆のスープが出てきました。これは結構味が良かった。出来
ればお代わりが欲しかったけど(笑)

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メインはこれ。鶏の焼いたやつ。ぱさぱさ・・:
でも、骨までしゃぶっていたのは誰だ(爆)
いや、意外とうまい肉でありました。

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最後にコーヒーとシュークリーム。結構でかかったので○。

まるで、日本の私の昼食に似ているなぁ。残念ながら日本の
ほうがうまい。
悔しいからお隣のイタリア人と思しき団体客のテーブルを
覗いたらメニューは違っていたけど、似たようなコースで
ありました。むむ、パルマ・ハムがどこにもなかったぞ(笑)
多分観光地の団体さん専用の食堂ってこんな感じなんで
しょうね。日本の観光地と似てるなぁ・・・

変なところで三国同盟なんてやってないでしょうね。食の
同盟はもうひとつの英国は外して置きたいけど(爆)






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2007年04月25日

イタリア旅行記(45) アッシジの街

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やってきましたのが、この街。丘の上にあるなんと言うこと
もない小さな街です。人口数千人規模じゃないかしら。でも、
地元の人は数百人だそうです。その殆どが聖職者だとか。
でも、世界からここを訪れる人が後を絶たない。残りの数千
人は観光客の商売ということになるのかしら。

その理由はこの地が聖フランチェスコの誕生した地だから。
全世界からこの小さな街を目指して巡礼にやって来るそう
です。

丘の上から眺める下の平地に広がる畑。そして十字路に
ぽつんと植わっている多分糸杉。この風景は何故か人を和ま
せるものがあります。多分、村の人々も旅人もこの糸杉を
目指して歩いているんでしょうね。まるで陸の灯台のような、
そんな感慨を持って暫しこの風景に見とれておりました。

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この街を代表する建築物、サン・フランチェスコ大聖堂です。
傾斜地を利用して建てられているため、下から見るのと
入り口から見るのでは全く趣を異にしています。自然を利用
して出来ているのですが、なかなか面白い建物であります。

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聖フランチェスコはフランシスコ会の創設者として有名です
よね。裕福な家庭に生まれ、放蕩を重ね後に神に目覚めたと
いう。イタリアの守護聖人の一人にまでなった人であります。
あのマザー・テレサは彼に帰依して修道女になったといい
ます。

この聖堂は彼の功績を称えて13世紀に建立されました。彼の
モットーは清貧。そのモットーに相応しい飾りの少ない素敵
な聖堂でありました。内部の写真が一切禁止されており、残念
でしたがジョットの「聖フランチェスコの生涯」という十数枚
の連作が聖堂内に飾られておりました。大変立派な絵であります
が、皆さんにお伝え出来ないのが残念です。

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聖堂に嵌めこまれたステンドグラスに描かれた聖フランチェスコ
そして紋章。珍しいですね、紋章のモチーフは鍵。

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聖堂の切妻と描かれた鳩。鳩はやはりキリスト教のシンボル
ですね。

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聖堂前の庭に描かれた「τ PAX」という文字。ギリシャ文字
の「τ(タウ)」とPax。Paxは平和の意味なんですが、「τ」
は何を示すのかしら。ギリシャ語で19番目の記号。はてどう
いう意味なんでしょう。お分かりの方がいらっしゃったら
教えて戴けませんか。






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2007年04月24日

イタリア旅行記(44) シエナの街「カンポ広場」にて


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こちらがイタリアで一番美しいと言われる広場、「カンポ
広場
」です。とっても広い広場で、ゆうに野球場が収まり
そうな大きさがあります。

広場で美しいというと、はて、ちょっとイメージが湧きづらい
ですね。日本だと皇居前広場かな。パリのエトワール広場
も美しいと言えばそうだけど、いかにもだだっ広い。あれで
エジプトからナポレオンが掻っ攫ったオベリスクがなければ
ただの空間なんですが。

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ちょっと写真が見づらいのですが、広場の表面は細かい舗石
タイルがぎっしり敷き詰められて。この写真で多分分かると
思うのですが、広場自体擂鉢の底の様になだらかな傾斜で落
ちているんです。恐らく最大傾斜で5Mくらいのギャップが
あるんじゃないかな。そしてそのギャップのため微妙なうねり
があるんですね。これって結構施工上難しいんですが、歩行
を妨げぬように納めているのはたいしたものです。ここら辺
がイタリアで一番美しいと言われる所以じゃないかしら。

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はは、ボールを置いちゃ駄目ですよ。ころころ転がって。
少年が一生懸命追いかけているけどなかなか追いつかない。

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この広場に面しているバール(喫茶店)でエスプレッソを
飲んで一息つけました。というか、トイレをお借りしたのが
真相ですが(笑)
海外に出ると困るのがトイレ。日本みたいに公衆トイレが
完備されていませんので。あっても有料トイレが多いですね。
1ユーロー(140円くらい)は必要となるので、バールで
コーヒーを飲むことになります。お値段は大体3ユーロー位。

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バールの中はこんな風。必ず何人かがたむろしていました。
お昼時でもないのに仕事は?なんて余計なことを。はは、日本
でも喫茶店には沢山人がいましたね。私もよくさぼっており
ました(笑)

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お店には例の年に一度のカンポ広場で行われる競馬の様子が
写真になって。ブロック別で競われるのですが、あの広場が
人、人で埋め尽くされるんだそうです。

凄いですね、騎手が落馬は日本の競馬でもありますが、馬が
倒れている写真もありますよ。あの石畳を走らされるお馬さん
も大変ですね。

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これがシエナの街の全景です。さて、早朝のお散歩を終え
これからアッシジに向かいます。

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バスの窓外から見えたパルマの街。例のパルマ・ハムで有名
ですが、寧ろサッカーの中田選手が一時暮らした街として
皆さんご存知かも知れません。随分と小さな町なんですね。
ちょっとびっくり。それでもサッカー・チームが持てるんだ。
日本と比べるとどうでしょう。野球は人口100万都市以上ないと
多分成り立たないと思うのですが。イタリアで人口百万都市
ってローマとミラノくらいじゃないかな。ナポリも百万いって
いたかな・・・
ちょっと不思議ですね。歴史と底辺の厚さの違いでしょうか。





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2007年04月23日

イタリア旅行記(43)シエナの街(そのさん)



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坂を登りつめたところに巨大なドゥオモが。どこの街も立派
なものがあるものです。それだけ中世ではイタリアの各地に
富が集中したと言うことなんでしょうね。

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相変わらずの大理石のピンクのアクセントがいいんですね。

この地ではドゥオモ見学はカット。時間がないのです。ちょっと
残念ではありましたが。

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緑の木製のサッシュとルーバ。このデザインが私は好きで、
イタリアに来たら結構あちこちで見られると思っていたの
ですが、意外と少なかったですね。
これ、晴れた日にはもっと綺麗に見える筈なんですが。曇り
空には合わないかも・・・






(続く)
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