5月1日米国から9・11同時多発テロを首謀したとされる
ウサマ・ビン・ラディンの殺害が報じられました。
連日東北大震災に関するニュースに明け暮れる我が日本に
おいては、それほど大きな影響はなかったようでありますが、
当時海外で生活していたボクにとっては、大変感慨の深い
ニュースでありました。
彼が殺害されたのはパキスタンの首都イスラマバードから
60KMほど離れた高級住宅地の一角。イスラマバードは
ボクも数回訪問したことがありますが、失礼な言い方ですが、
パキスタンとは思えぬほど、静かで瀟洒な街並みが印象的
でありました。その首都で長期に亘り国際テロ容疑者が長
期間匿われていた事実は、かなりショッキングであります。
彼の組織した「アルカイーダ」は9・11事件当時はウサマを
頂点としたテロ組織でありましたが、現在はネットを媒介とした
米国或いは米国的なものへの「ジハード(聖戦)」を標榜する
テロリストの緩やかな連帯という形態になっています。
よって、今回のウサマ殺害が即、アルカイーダのテロ
撲滅に直結しない、寧ろ数年は激化する恐れもなしと
しないとボクは
みています。
☆
思えば、ボクの海外生活はウサマと繋がりの深い場所が多
かったような。二回目の海外生活はケニア・ナイロビ。丁度
これもウサマが主導したと言われる米国大使館爆破事件の
翌年の赴任。駐在中はボクの通った事務所に何回も爆破
予告やら爆弾設置の情報が入ったり。その都度、速攻で
事務所閉鎖なんてことが度々。結構身近でアルカイーダの
影を感じながら生活していた実感があります。
☆
最初の駐在地はアラビア半島の突端にあるイエメン。ウサマ・
ビン・ラディンの先祖の生まれ故郷、ハドラマウト、紀元前の
シバ女王国であった頃の商都は駐在当時の南イエメンにあり
ました。因みにウサマの名前にあるミドル・ネームの「ビン」は
ハドラマウト出身の主要名家を表す名前。世界に冠たるアラブ
商人の代名詞であります。彼等は、アラブ世界からアフリカ・
インド圏で商人として活躍、近世になってはサウディでその多く
の富を築き、サウディ王朝繁栄のもととなっていました。
ウサマの実家はその流れを組み、現在でもサウディの豪商の
ひとり。彼の実家は所謂総合建築請負業(日本のゼネコンとは
ちょっと形態が違います。英語で言う「Contractor」の概念)
そんな経緯もあり、元々ウサマ自身はサウジの宗家、サウド家
に対する崇拝の念が強かったと言われています。事の詳しい
経緯をボクは知りませんが、彼がテロリストとして頭角を表す
ようになったのは、ソ連のアフガン侵攻が契機であったのは
間違いありません。反ソ・パルチザンの一員として何と米国の
援助を受けながらアフガンで活動した経緯があります。
その意味で、米・ソ冷戦構造の作った「鬼っ子」でありました。
アフガン対ロ戦争以降、アラブ世界はイラク戦争を経験します。
ここでサウディは米軍に基地提供をするという歴史的対米追随策
をとることになります。これに対してウサマはサウド家に反米基本
路線をとるよう建白書を提出したりしましたが、結果は現状の同盟
関係が継続されていることに象徴される真逆の結果あで推移しました。
これを機にウサマは愛すべきサウド家に見切りをつけ、米国的なる
ものに対する「ジハード(聖戦)」を宣言、テロのグローバル化に
突き進むことになります。
☆
さて、今回のウサマの殺害。モスリムの慣習に反した水葬という処理、
殺害遺体の未公表、遺体の未公表と謎を残したまま。またぞろ、
アルカイーダを始めとするテロ組織からは「ウサマは死なず」として
報復テロが容易に予想されます。
イラク戦争ではフセイン大統領は生かして、形ばかりではありますが
裁判がかけられました。それと比して余りにあっけない死にボクは
大きな違和感といい知れぬ不安を覚えます。
生かして是非とも9・11の真相が聞きたかった。
☆
今後、ウサマの後継者を目指して、世界各地の第二、第三のウサマ
が出ては消えて行くことでしょう。
ボクがいま一番懸念すること。世界の原発現場の徹底したテロ対策。
特に、全くその意味で能力を持たぬし、そんな懸念のこれぱかしも持
たぬ管理能力ゼロの菅政権の日本。
何しろ、原発の本当の怖さを教えてしまったニッポン。
電気を作る原発が電気が通じなければ恐ろしい核爆弾となると
世界に教えてしまったニッポン。
テロリストにとって原発本体を攻撃する必要はなくなりました。この事実
を各国政府は本当に再認識してほしいものです。
ウサマ・ビン・ラディンの殺害が報じられました。
連日東北大震災に関するニュースに明け暮れる我が日本に
おいては、それほど大きな影響はなかったようでありますが、
当時海外で生活していたボクにとっては、大変感慨の深い
ニュースでありました。
彼が殺害されたのはパキスタンの首都イスラマバードから
60KMほど離れた高級住宅地の一角。イスラマバードは
ボクも数回訪問したことがありますが、失礼な言い方ですが、
パキスタンとは思えぬほど、静かで瀟洒な街並みが印象的
でありました。その首都で長期に亘り国際テロ容疑者が長
期間匿われていた事実は、かなりショッキングであります。
彼の組織した「アルカイーダ」は9・11事件当時はウサマを
頂点としたテロ組織でありましたが、現在はネットを媒介とした
米国或いは米国的なものへの「ジハード(聖戦)」を標榜する
テロリストの緩やかな連帯という形態になっています。
よって、今回のウサマ殺害が即、アルカイーダのテロ
撲滅に直結しない、寧ろ数年は激化する恐れもなしと
しないとボクは
みています。
☆
思えば、ボクの海外生活はウサマと繋がりの深い場所が多
かったような。二回目の海外生活はケニア・ナイロビ。丁度
これもウサマが主導したと言われる米国大使館爆破事件の
翌年の赴任。駐在中はボクの通った事務所に何回も爆破
予告やら爆弾設置の情報が入ったり。その都度、速攻で
事務所閉鎖なんてことが度々。結構身近でアルカイーダの
影を感じながら生活していた実感があります。
☆
最初の駐在地はアラビア半島の突端にあるイエメン。ウサマ・
ビン・ラディンの先祖の生まれ故郷、ハドラマウト、紀元前の
シバ女王国であった頃の商都は駐在当時の南イエメンにあり
ました。因みにウサマの名前にあるミドル・ネームの「ビン」は
ハドラマウト出身の主要名家を表す名前。世界に冠たるアラブ
商人の代名詞であります。彼等は、アラブ世界からアフリカ・
インド圏で商人として活躍、近世になってはサウディでその多く
の富を築き、サウディ王朝繁栄のもととなっていました。
ウサマの実家はその流れを組み、現在でもサウディの豪商の
ひとり。彼の実家は所謂総合建築請負業(日本のゼネコンとは
ちょっと形態が違います。英語で言う「Contractor」の概念)
そんな経緯もあり、元々ウサマ自身はサウジの宗家、サウド家
に対する崇拝の念が強かったと言われています。事の詳しい
経緯をボクは知りませんが、彼がテロリストとして頭角を表す
ようになったのは、ソ連のアフガン侵攻が契機であったのは
間違いありません。反ソ・パルチザンの一員として何と米国の
援助を受けながらアフガンで活動した経緯があります。
その意味で、米・ソ冷戦構造の作った「鬼っ子」でありました。
アフガン対ロ戦争以降、アラブ世界はイラク戦争を経験します。
ここでサウディは米軍に基地提供をするという歴史的対米追随策
をとることになります。これに対してウサマはサウド家に反米基本
路線をとるよう建白書を提出したりしましたが、結果は現状の同盟
関係が継続されていることに象徴される真逆の結果あで推移しました。
これを機にウサマは愛すべきサウド家に見切りをつけ、米国的なる
ものに対する「ジハード(聖戦)」を宣言、テロのグローバル化に
突き進むことになります。
☆
さて、今回のウサマの殺害。モスリムの慣習に反した水葬という処理、
殺害遺体の未公表、遺体の未公表と謎を残したまま。またぞろ、
アルカイーダを始めとするテロ組織からは「ウサマは死なず」として
報復テロが容易に予想されます。
イラク戦争ではフセイン大統領は生かして、形ばかりではありますが
裁判がかけられました。それと比して余りにあっけない死にボクは
大きな違和感といい知れぬ不安を覚えます。
生かして是非とも9・11の真相が聞きたかった。
☆
今後、ウサマの後継者を目指して、世界各地の第二、第三のウサマ
が出ては消えて行くことでしょう。
ボクがいま一番懸念すること。世界の原発現場の徹底したテロ対策。
特に、全くその意味で能力を持たぬし、そんな懸念のこれぱかしも持
たぬ管理能力ゼロの菅政権の日本。
何しろ、原発の本当の怖さを教えてしまったニッポン。
電気を作る原発が電気が通じなければ恐ろしい核爆弾となると
世界に教えてしまったニッポン。
テロリストにとって原発本体を攻撃する必要はなくなりました。この事実
を各国政府は本当に再認識してほしいものです。
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Phoenix 東北&関東
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