2011年07月05日

フランス紀行(17) ロワール川を行く シャンボール城A


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シャンボール城のファサードの一部です。

この城の主は当時即位したばかりのフランソワ一世。イタリア遠征で
見た、当時隆盛を誇ったイタリア・ルネッサンスの華麗な建物を見て
びっくら仰天。恐らく、こりゃフランスもこれに負けてはいけないと
思ったんでしょう。帰国後速攻でこの城の建築に着手しました。

設計はイタリアのドメニコ・ダ・コルトナという人であったそうな。但し
1519年から1547年の間に、相当の改築の手が加えられ、原型は
留めていないという。

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イタリアのルネッサンス様式とフランス中世の伝統建築様式の融合で
あったとして、フレンチ・ルネッサンス様式とか呼ばれているそうです。

ボクの不遜な見方からすると妙にゴテゴテして見えるのですけど・・・
因みにこの塔屋群の稜線は、やはりフランソワ一世が遠征で見た
コンスタンチンノープルのスカイクレーパーをイメージしたんだという
説がありますが。

まぁ、これが後のベルサイユ宮殿に見られる華麗なフランス建築様式
に繋がる礎なんでしょうね。


P1130286.JPG

P1130284.JPG

城の翼棟との繋ぎには開放のらせん階段が見えます。この地方は決して
雨が降らないわけではないと思うのですけど、よく開放でやったなぁと
思ったりして。

この城の居室は440、暖炉が365、階段が74か所。なんだか数字を
見ただけで気が遠くなりそう(笑)内部を見学しましたが、恐らくボクの見た
のはそのほんの一部なんでしょう。それでも結構疲れたですよ(笑)




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2011年07月04日

フランス紀行(16) ロワール川を行く シャンボール城@


オルレアンを出て地方道路を1時間ほど車を飛ばすとシャンボール公園
入口に着きます。
おや、随分と近場にあるんだと思ったら、その入り口から広がる森の中
を延々20分強走り続けて....

何度か道を間違えたんじゃないかと心配になるくらい。帰って旅行書を
紐解いたら、この公園の面積はなんとパリ市とほぼ同じ面積ですって。
ヨーロッパ最大の森林公園だそうです。

写真 948.jpg

高木の向こうに見えるのがシャンボール城。城の背面からぐるっと
回ります。ん〜ん、城の周りにはお定まりのフランス庭園もなく、
なんとなく素っ気ない感じ。

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お城の正面入り口前には小学生の修学旅行でしょうか。生徒より
引率者・先生のほうが興奮していたりして。城を見上げて「おおっ!」
なんて歓声をあげていましたよ(笑)


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こちらが正面ファサード(ちょっと正対からずらして撮ってますが)。
最初の印象はやたらと尖塔みたいのがぶすぶすと突き立てられ
ているなという感じ。


P1130348.JPG

ロマネスク風の建物にゴシック調の搭屋・尖塔を無理やりくっつけた
という風にボクは見てしまいましたが。
ともかくでかいです。下に写っている人影と見比べて下さい。基底部
は三層ですが、それぞれの階高は異常に高いんですが、中に入ると
その割には天井高がない!不思議な設計。

城というけど、こりゃ城じゃありません。迎賓館+別荘という感じかな。

お好きな人には悪いんですが、余り趣味の良い建築とはボクには
思えませんでした(苦笑)



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2011年07月03日

フランス紀行(15) ロワール川を行く オルレアンM ロワールの岸辺


P1130142.JPG

ロワール川と言えば古くから交通の要衝。フランス内陸部の輸送の
大動脈でありました。オルレアンはパリから約百キロの距離ということ
もあり、古くから水上輸送の最前線基地として栄えていたそうです。
それ故に第二次世界大戦ではドイツ軍の兵站基地として重要拠点
となり、フランス解放の際には激しい米軍の空爆に晒されたことは
既にご説明しました。

また中世からパリの避暑地としての立地を確立。王侯諸侯がこぞって
風光明媚なこの土地に城を築いています。現代ではロワール川の
城めぐりとして観光の目玉となっています。

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ということで、ボクもご多分にもれず、オルレアンでレンタカーを借り
ロワール川を下りツールという約100km離れた都市まで古城めぐり
としゃれこみました。


P1130148.JPG

旅行解説書等ではロワール川をロワール渓谷なぞと表現している
ケースもあるようですが、ボクのイメージではちょっとそういう感じは
しなかったです。

ご覧の通り穏やかな流れに見えるのですけど。実は結構な
暴れ川であるそうで、特にこのオルレアン付近では流れが頻繁に
変わり、上流に遡上するには相当の航海術が必要とされた
そうです。

川の水深はかなり浅く、現代でも通行できるのは平底船。
よって、スペインの大河とは違い、フランスが大航海時代では
取り残された感があるのは、こういった地政学的条件があった
からかなと推測できます。


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P1130149.JPG

さて、いよいよ出発。まずは一番近いかの有名なシャンボール城から。




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2011年07月02日

フランス紀行(14) ロワール川を歩く 真夜中のオレルアン 


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食事後(↓)、再びオルレアン大聖堂を拝みに。

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夜中の12時を少し回っていて、道行く人もまばら。この大聖堂の
威容がひしひしと。

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中央で白く光っているのがオルレアン大聖堂の尖塔です。他の
建物とライティングの色を変えてますね。流石です。

街のあちこちがライトアップされて、夜の散策がとても楽しい街
であります。

因みに人が少ないこともありますが、治安は全くと言って良いほど
安全だと言って過言ではないでしょう。
もっとも、日本を含めて100%ということは言えませんが。

然し、海外でこうして夜遅くまで安全に歩けるというのはなんて
素晴らしいことでしょう。

続きはこちらのサイトでもどうぞ
大きな画面でご紹介しています



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2011年07月01日

フランス紀行(13) ロワール川を歩く オレルアンK 夕食は石焼で


P1130243.JPG


昼間のオルレアン市街探訪を一旦終え、宿に戻って一寝入り。
何と10時過ぎに起きだし、おもむろに夕食に。

6月の初旬のフランスは白夜の趣を呈していて、なんと未だ
照明もなくても十分歩ける明るさ。
そんな中、再び市内をふらふら。

この日は日曜日でありましたか。観光客もまばらで開いている
お店も少なく、上の写真の明るい店の手前の暗いところに飛び
込みました。日本にいても暗い店が何故か好き?(笑)

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ちと見づらいのですけど、天井のところどころにボクの大好きな
サン・テクジュペリが描いた「星の王子さま」の絵が。
はい、こういうお店は美味しいのです(決めつけ 笑)

こちらはチーズ・フォンデュのお店でありましたが、メニューの中
で石焼きというのが目に止まって。

へ〜、フランスでも石焼きなんてあるんだ

ということで早速それを注文。それと勿論デカンタ大の赤ワインも。

P1130236.JPG

おおっ、でか皿に大量のビーツの酢漬けとフレンチ・ドレッシングを
和えたレタスとトマトを主体としたサラダがまず供され。
ううっ、このサラダだけで腹いっぱいになりそう(ぶるっ、うひひひ)

うまいねぇ、このサラダ(もぐもぐ、ぱりぱり)

P1130238.JPG

そして再び大量の野菜とお肉。
これ、余り量がないように見えますが・・・
実はなんとなんとお肉だけで1KGあるんですって。

最近ボクは肉を余り食べないようにしているんだけど、過去に
一度だけ死ぬほど食べたいということで神戸牛を1KG若い
時に食べたことはありますが・・・

P1130239.JPG


これをこんな風に石板の上に置いて焼きながら食べるのでございます。
そしてフランスと言えばハーブ。プロバンス風のミックスハーブの大皿が
テーブルの上にあって、それを大量に肉の上にばら撒いて焼きます。

ん〜ん、いい香り

合わせは写真に撮るのを忘れましたが、なんと8種類のソースを手元
に置いて。

お肉の味?

流石に日本のあの柔らかく脂の乗った美味しい肉とは比べようがあり
ませぬが、ボクが普段食べているオージー・ビーフよりは確実に美味
しかった(笑)
ぱらぱらと大量に振りかけたハーブがよかったのかしら。かぐわしい
匂いと、引き締まった味で食欲をそそります。それと確かに肉が柔らかく
なりますねぇ。

うまい!!

それが証拠にデカンタ大のワインを二本開けた頃には、お皿には何も
残っていなかったようですから(爆)




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フランス紀行(12) ロワール川を行く オルレアンJ ジャンヌ・ダルク



P1130214.JPG


そうそう、ジャンヌダルクのお話が途中になっていました。

シャルルに無事戴冠をさせ、フランス国王を復権させた後、ジャンヌと
シャルルの間には隙間風が吹くようになりました。

あくまでも三聖人のお告げに基づく、イギリス軍の完全駆逐を訴える
ジャンヌと、復権なった後の国内安定を目指すシャルルとの戦略の
違いが際立つようになり、ジャンヌはシャルル軍の援軍を欠くような
戦いを強いられることになります。



P1130051.JPG

そして遂に1430年5月にコンピニェールの戦いでブルゴーニュ軍
に捕らえられます。そして驚くことにブルゴーニュ軍は1万フランの
身代金でジャンヌをイングランド軍に引き渡してしまうのです。
オルレアン市民は彼女の消息を知り、身代金を用意してシャルルに
送ったが、彼はそれを無視したとも言われています。
事の真相は良く分かりませんが、政治の世界ってホントに恐ろしい
ですね。何れにしても後世にこういう話が残ること自体、ジャンヌと
シャルルの亀裂は相当なものであったということでしょう。

そして1431年にルーアンにおいて、異端審問裁判にかけられます。
これが極めて不思議なのですけど、何で軍事裁判でなく、宗教裁判
だったのでしょう。恐らく、ジャンヌの持つカリスマ性を否定する便法
ということなんでしょうか。イングランド側は意地でも彼女を英雄の座
から引きずりおろしたいということだったんでしょうね。

異端の理由は彼女が三聖人の声を聞いたということにありました。
裁判ではこれは精霊の声であり、悪魔の仕業と結論づけられました。
当時ヨーロッパの宗教では、悪魔と契った女性は処女を失うとされて
おり、何と裁判開始前に彼女の処女検査まで行っています。
因みに彼女は処女であったんですが、これで異端の疑惑は晴れて
いないというのが、また凄まじい話ではあります。




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5月24日火刑の判決が出ますが、判決文読み上げの最中に
ジャンヌは異端であったことを認め、改宗を宣言します。これ
により、彼女は終身刑に減刑、イングランド軍の牢に幽閉される
ことになります。

ところが、その牢の中で彼女は男装をしていたことが発覚。当時
男装は異端の印とされ、彼女は再び裁判にかけられ、即刻火刑
に処せられます。

何故男装していたかについては、イングランド軍の性的行動を
恐れたという説がありますが、これはとってつけたような理由に
ボクには思えます。多分理由はなんでもよかったんでしょうね。

火刑の最中に彼女は窒息死するのですが、一旦衣服が燃え
落ちた裸体は公衆の目に晒され、再び処女性を確認させるという
残酷な仕打ちを受けています。

更にはその遺灰はすべてセーヌ川に流されてしまいます。当時の
宗教では人々は火葬を忌み嫌っておりました。それは遺体がない
と、最後の審判の際に再生出来ないことになるからで、火葬される
ということは死よりも恐ろしいことと捉えられていました。


P1130215.JPG

斯様な惨い仕打ちを受けたジャンヌでありますが、フランス人として
最初に評価したのは、かのナポレオン。恐らくジャンヌの評価で自ら
のイメージを高めるという計算でありましょう。けれども、彼のお蔭
で、ジャンヌはフランス一の英雄となりました。

そして時はもっと流れ、彼女がローマ法王の名で晴れて復権し、
聖女に叙せられたのは1920年5月という膨大な年月を必要と
したのでした。




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2011年06月30日

フランス紀行(11) ロワール川を行く オルレアンI 街角風景


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緩やかなR(アール)の続く街区。壁面線と高さが揃えられて。
こういう景色は日本ではまずお目にかかれません。


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マルトロワ広場に繋がる道。この広場は確か五差路か六差路
になっていたかしら。どこからでもジャンヌの姿が見えるという
寸法です。



P1130221.JPG

市の人口は約11万人。我が調布市の半分以下。日中暑いという
こともありますが、目抜きの通りでもこんな人出。殆どが観光で
成り立っているのかと思ったら、意外と製造業も盛んでした。

世界的な製薬会社サノフィ・アベンティスの拠点とか、驚いたのは
ディオールやら資生堂の化粧品製造業が盛んなのだそうです。

P1130220.JPG

面白い屋根のカタチをした建物が。ここもアラブの影響があったん
かしら?


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目抜き通りを一歩入るとこんな中世の街並みが。旧市街地です。


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フランスでもカワセミさんは人気みたい。ロワール川という自然が
残ってますからねぇ。




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2011年06月29日

フランス紀行 オルレアン大聖堂


別館にオルレアン大聖堂のステンドグラスを中心とした記事をアップ
しました。




Rolling 55 別館


posted by belage at 16:31| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | フランス紀行!11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フランス紀行(10) ロワール川を行く オルレアンH 街角風景


P1130053.JPG

前出(↓)のマルトロワ広場の一角です。
遠くにオルレアン大聖堂の尖塔が見えています。


P1130112.JPG

大聖堂を背に、門前の参道を。


P1130114.JPG

この参道のビルの数か所にこんな縦型のプランターが。フランスは原発
大国ですから日本と違い節電なんてないのですが、街の飾りとしての機能
でしょうか。
これはなかなか洒落てます。日本でも流行らないかしら。



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この日も結構陽射しが強くて。散策に疲れて、大聖堂前のカフェでお茶。
もとい、頼んだのはビールでございまする(笑)
乾いた喉にビールはとってもおいしゅうございました(笑)とてもワインなぞ
飲む気になれない、それくらいの暑さ。


P1130211.JPG

お隣のお兄さん二人組も同じくビール。良く似た顔立ちをしていて、
体型もそうなんですけど。こちらもビール。フランス人はワイン
一点張りと思ったら。
手前のお兄さんが左手に持っているのは、

なんとソフトクリーム


ソフトをぺろりと舐めて、その後ビール!
ボクには真似のできない芸当でありました。
こういう方は尊敬しちゃう(笑)




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2011年06月28日

フランス紀行(9) ロワール川を行く オルレアンG マルトロワ広場のジャンヌ・ダルク


P1130221.JPG

こちらはオルレアンの駅前通り。このどんつきが国鉄のオルレアン駅と
なります。なんやら間口の狭い商店で、さっと通りすぎるとなんの店か
分かりませんが、結構高級ブランドを飾っている店があったりして。

ここら辺はいつも思うのですが、日本とは全く違う様相です。いかにも
「わたしゃブランドだぁ」という顔をしないで、さりげなく店を構えている。
考えてみれば京都辺りを散策してふと通りすぎてしまう老舗という感じ
なのかしら。

ブランド、ブランドと騒ぐのはやはり「遅れてきた国の人でしょう」という
ことなのかも。日本だって、セイコー、ソニーのお店があっても「あ、そう」
てなもんでしょうから(笑)


P1130217.JPG

さて、駅前旅館から駅前商店街を歩いて5分のところに、このマルトロワ
広場があり、まさにこのオルレアンのシンボル広場となっています。
広場の中央には、オレルアンの少女、ジャンヌ・ダルクの銅像が。

P1130219.JPG

広場はランダーバードという円形の交差点になっています。
この中央の建物に注目。ヨーロッパの街角ではよくこうした
先端が細くなっている建物に出くわします。♪なんでだろう、
なんでだろう♪と(古っ)思わず訝しがるのですが。

暫くこの位置で建物を見てふと気付いたことが。ランダーバード
は未だ車社会でない頃の交通体系のひとつ。主たる交通
機関は馬車であった頃の名残り。車の場合は「急に止まれない」
ですが、馬車の場合は「急に曲がれない」が理由じゃないかしら。

それゆえに街区のコーナーはこうして丸みを持たせたんだと
推論した次第です。こちらの場合は円弧で処理していますが、
面取りしたカタチ、台形のスタイルも時々お目にかかれます。


P1130050.JPG

フランス・イタリア・スペインは世界の自転車大国。なんと言っても
ツール・ド・フランスを擁するフランスです。道行く親子連れのこの
スタイル!それこそ、日本のような狭い道路で車びゅんびゅんの
世界ではとても怖くてこんな恰好は出来ませぬ。

我が駅前旅館の傍の舗道に沢山のレンタサイクルの置き場が
あって、この種の自転車も沢山置かれていました。いいですね、
パパとこうして一緒に旅ができるなんて。子どもにとっては最高
の思い出になるでしょうね。


P1130045.JPG

街角で見つけたこのカフェ・カーテン。素敵でしょう。
日本ではなかなかお目にかかれないデザイン。色の配色も
見事です。
その後フランス滞在中に結構この種のカーテンを探しましたが、
残念ながら見つからず。レースの無地ものは結構あったん
ですが・・・


P1130047.JPG

バルコンのプランター。手すりのデザインがまたいいなぁ。



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2011年06月27日

フランス紀行(8) ロワール川を行く オルレアンF「オルレアン大聖堂」


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およそ1KMは続くであろう参道の先にはオルレアンの中心、
オルレアン大聖堂」があります。

正式名称はLa Cathedorale Sainte-Croix d'Orleanes
です。日本語に直すとオルレアン聖十字架大聖堂となるのでしょうか。

都市計画と言えばパリの中心街、特に凱旋門を中心とする
シャンゼリゼ・ルーブル辺りはは世界に誇るものでしょう
けど、地方もこういう素晴らしいものがあります。
このヴューを見て、思わずため息が。

日本でいえば門前町となるのでしょうけど、それと比べると
あっけないほど商店が目立たない。大聖堂の前にレストラン
が一軒と、カフェ、ブランド品店が数軒あるくらい。やたらと
目立つ看板なぞは全くないし・・・


第二次世界大戦中ドイツ軍の物資補給の戦略拠点として
占領され、それ故フランス解放の際に連合国軍の米軍の
激しい爆撃に晒されたこの街。

見事に往時の姿を復活させていると驚嘆です。


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典型的なゴチック様式の教会ですが、開基は5世紀中ごろで、
その後ノルマン人の侵略により廃墟に。9世紀に入り西フランク
王国の手で再建されるも、999年には大火で消失。

その後再建された直後に大聖堂に格上げされたのを期に大改造
がなされ、現在とは違うロマネスク調の教会として急遽再建される。
その建物も1227年には身廊と内陣の大部分が崩壊という目に
遭っています。




P1130167.JPG

そして1258年当時のルイ6世の曾孫のロベール・ド・クルトネが
当教会の大司教に選出、これを期に崩落部分を改修せず、新たに
ゴシック様式で大改造が行われました。

百年戦争の際には不思議とこの建物は被害を被っていません。
ジャンヌ・ダルクもオルレアン解放直前の1429年5月2日にこの
教会でミサを授かっています。

この教会の過酷な運命は未だ続き、カトリックとプロテスタントで
争われた宗教革命の最中、フランス国内の内戦となったユグノー
戦争
により、尖鋭的なプロテスタント教徒により内陣に火をつけられ
教会は崩壊してしまいます(1568年)

ユグノー戦争は1598年終結をみますが、その年国王アンリ4世は
当地に立ち寄り再建を確約、1601年に再建が始まります。完成
したのはなんとフランス革命を経ての1829であります。

更に1854年には鐘楼が傾くという事件があり、再び取り壊され
現在のカタチに納まるのは1858年と言う数奇の運命を辿り
ました。


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ちょっと珍しい薔薇窓の地模様です。


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一連のステンドグラスは一番最後の再建後の設置で、1859年
のものです。
やはりデザインに斬新なところが見られると思います。


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度重なる災厄を乗り越えて。マリアの祈り。



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フランス紀行(7) ロワール川を行く オルレアンE「ノートルダム寺院」と黒いマリア


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フランスではノートルダムと名前のつく寺院はパリのカテドラルを
始め沢山存在します。
市内探訪で見つけた小さなこのノートルダム寺院。旅行案内書にも
名前が出てこないような寺院ですが、中に入ってびっくりでした。

P1130127.JPG


正式名称は「奇跡のノートルダム(Nortre-dam Des Miracles)」と
なっていました。後ろにMiraclesと複数形になっているのがなんとも気
になりますが(笑)、残念ながらその詳細は分かりません。

因みにNotre−Damの意味は英語で言えば「Our Lady」でちょっと
味気ない。
「我らが貴婦人」、即ちキリスト教では「マリア」のことを指します。

ヨーロッパのキリスト教はボク等門外漢から見るとマリア信仰が強いと
感じるのですけど、この寺院はまさにマリア命と言ったところでしょうか。

上の写真は主祭壇。こじんまりとした教会ですが、この主祭壇を彩る
ロマネスク調の意匠は結構目を見張るものがありました。


P1130126.JPG


建物は平屋根。ゴシックのお定まりの薔薇窓はありませんが、天井に
沿って一面に貼られたステンドグラスは見応えがありました。


P1130135.JPG

そして主祭壇の中におわすのはマリア様ですが・・・
あれっ、なんか変!

P1130133.JPG


近づいてみたら、なんとなんとスペインのモンセラットで見たのと
同様に「黒いマリア様」ではありませぬか。

フランスの内陸部でこの黒いマリアに出会うとは、ちょっとびっくり。
実は今回の旅で黒いマリア様とは他所でも数回お会いすることに
なるのですが・・・

因みにマリアとキリストの姿・顔はモンセラットのとはかなり違い
ます。大きな違いは向こうは座位、こちらは立位です。
こちらの写真と見比べてみて下さいね。

もしかして「奇跡のノートルダム」とは、この黒いマリアを指すのかも。
でも、表記は複数形になっているので、未だ他にもあるのかなぁと
思ったりしたのですが・・・



P1130129.JPG


P1130128.JPG

P1130130.JPG


副祭壇にはジャンヌ・ダルクの横顔の像が。この姿が旗手を
務めた彼女の実態に近いものでありましょう(実際に彼女は戦い
で剣をふるったことはないそうです)。

他一つの奇跡は彼女が英国軍包囲のこの町を救ったことを指すの
かも知れません。

因みに宗教異端審問で有罪判決を受けた彼女は、その後近世に
なり裁判の誤りを認められ復権し、聖女の列に叙せられています。




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2011年06月26日

フランス紀行(6) ロワール川を行く オルレアンD「Hotel Groslot( グロロ邸)」


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グロロ邸の正面ファサードです。
斜めのタイル張りがとてもきれいな外観ですね。
こちらは内部の一部も無料で公開。有難いことです。

P1130074.JPG

建物正面には「オルレアンの少女」、ジャン・ダルク像が。
色々な書きものを読むと、彼女は日本の義経とは違い、戦闘で
功を上げたということではないようです。寧ろ、殺戮そのものには
参加せず、シャルル軍の旗手として先頭を切って参戦していた
ということであったそうです。

彼女自身の緒戦では矢を受けているそうですが、その時は痛い、
怖いと泣いたそうな。そういう等身大のところがまた愛される
由縁かも。

それにしても、たかだか14,5歳の少女が大人もひるむ醜酸な
戦いの場で、先陣を切って走る様は、否が応でも味方の将兵
を鼓舞したことでありましょう。


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正門の飾り。花柄模様をうまくあしらってますね。


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さすが、この地域の代官所ともなると贅をこらした内装です。但し、金に
あかしたという風情ではなく、落ち着いた品の良さがありますね。

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部屋に飾られたジャンヌ・ダルクの肖像。概してフランスの女性はとっても
小顔ですが、表の像といい、この肖像画といい、ホントに顔が小さい。
一緒にいた横の奥様が「はぁ〜〜」とため息を(爆)




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2011年06月25日

フランス紀行(5) ロワール川を行く オルレアンC 「Hotel Groslot( グロロ邸)」


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オルレアンの街中探訪で偶然見つけたこの瀟洒な建物。古い街並みの
中でもとりわけ異彩を放つとてもキュートな外観です。

丸屋根と二階外壁のタイルの装飾が素晴らしい。
帰国して色々調べたのですが、多分「Hotel Groslot」という建物では
ないかと思います。この地方の代官であったグロスロという人の邸宅で
あったようです。1555完成だそうです。
現在見えているのは建物の裏側の付属棟の一部です。
次回には正面玄関から入りますのでご安心を(笑)

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この建物の敷地の片隅にある古びたロマネスク風の建築物。隣にある看板を読むと
Chapelle De St. Jacques(聖ジャック礼拝堂)となっていました。15世紀の
建造で1883年修復とありました。

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アーチの内側に見える細かい彫刻が素敵です。

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お隣に生えていた高木の緑葉がきれいで。なんと垂直に葉が出て
いました。
丸い小さな薄緑色の実も一緒に写真に収めて。



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フランス紀行(4) ロワール川を行く オルレアンB 「ジャンヌ・ダルクの家」


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オルレアンと言えば欠かせないのがジャンヌ・ダルク(Jeanne 
D'arc)。
英国の侵略を受けていたフランスを救った英雄(女性も英雄と言っ
ていいのだろうか。「女傑」というには少女に対して申し訳ないので
使えませんが)。

1412年1月生まれの彼女は1425年14歳の時に聖カトリーヌ、
聖マルグリッド、聖ミシェルの声を聞いたとされます。その声を届
けるため当時空位であったシャルル王太子(後のシャルル7世)
と面談し、1429年にはイングランド軍の包囲にあったオルレアン
に出発、勇猛果敢にシャルル軍の先頭に立ち、7か月に及ぶ包囲
網を打ち破る原動力になり、このオルレアンの一戦がジャンヌ・
ダルクの名前を不動のものにした訳です。

その後も戦勝を続け、三聖人からの声のひとつ「ランスにおける
シャルルの戴冠式」を執り行うことをシャルルに提案。敵中の都市
であるランスでも英国軍を打ち破り、百年戦争の最中長らく空位で
あったフランス国王の復権という大偉業を成し遂げた。

そしてジャンヌはフランス救国の英雄として注目を浴びることに
なり、シャルルもフランス国王の権威復活を成し遂げるわけです
が、これ以降安定を望む国王と完璧な勝利を目指すジャンヌとの
間には徐々に溝が出来て行くことになります。

どの国の歴史でも時代の寵児という人はいますが、時代時代の
潮目でその役割を終え、密かに表舞台から消えた人も数少なく
ありません。
ジャンヌの場合は逆に時代に取り残され、その後待ちうける悲劇
によって現代でも語り継がれる英雄となりました。その悲劇はまた
後ほど。

日本で言えば義経伝説に似たような経緯があるのかなぁ。

そのフランスのシンボルともいえるジャンヌ・ダルクがオルレアン
で構えた居が写真の住居。先のサン・パテルネ教会から徒歩
数分のところ。周囲の石造りの建物と一線を画す、木組み工法
の建物ですので、直ぐ分かります。

これから分かるように、現代のフランスの多くの都市は石造りの
建物ですが、当時はこうした木組み工法の建物であったんで
しょうか。街の中心を暫く歩いて見ましたが、他に同工法の建物
が数軒残っていました。但し、殆どは飲食店で、木の状態から
見ると最近の建築のように見受けられましたが。


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この工法はヨーロッパではドイツ以北によく見られる伝統建築
ではあります。フランスでもアルザス・ロレーヌ地域ではよく見
られたと記憶しています。


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内部に入って見て見たかったのですが、残念ながらこの日は
内部補修中で、立ち入り禁止になっておりました。実際には
ジャンヌに関する古文書等が展示されているようです。中世の
フランス語なぞボクにはとても理解不能ですので、見ても猫に
なんちゃらではありますが(苦笑)

ボク自身はジャンヌは伝説上の人物だと思っていましたが、
実在していたんですね。最終的に彼女は異端審問にかけら
れて死ぬのですが、その裁判記録も相当残っていて、結構
歴史的裏付けがなされていると聞きます。


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建物の裏側に回ると。あれっ、随分とのっぺりとした表情(笑)

外壁はペンキ塗りのようですが、かなり新しく塗装された感じが
しました。

因みにジャンヌ・ダルクはこの家に1429年4月24日から5月
9日まで滞在していたそうです。生憎家そのものは第二次世界
大戦で破壊され、現建物は復元されたものでありました。




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2011年06月24日

フランス紀行(3) ロワール川を歩く オルレアンA サン・パテルネ教会


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オレルアンの市街探訪で最初の訪問地はこちら。ホテルの部屋の窓から
見えた地区の教会に。地図で調べたら「サン・パテルネ教会(Paroisse
Saint Paternne)」となっていました。
小教区の教会でもこんな立派とは!ちょっとびっくりです。

訪れたのは6月の初旬で、夏薔薇の最後の季節でしょうか。暑い日差しに
薔薇もちょっと元気がありません。


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教会の主祭壇。内陣の意匠はそれほど豪華ではありませんけど、しっとり
落ち着いた雰囲気のいい教会です。

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その代りステンドグラスが素晴らしい。この後も色々と教会は訪問しますが、概して
フランスの教会のステンドグラスは凄いです。デザインが細かいし、モチーフも
様々。

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3・11の被災地の安息と旅の安全をお祈りして・・・






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フランス紀行(2) ロワール川を歩く オルレアン@ オルレアン駅周辺


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パリ・オステルリッツ駅から急行列車で着いたのがこちら、オルレアン駅
遥か20年以上前にボクは一人旅でこの地を訪れたことがある筈なんで
すけど、当時は未だ寂れた駅舎で、早々にこの地を立った思い出がある
のですが、随分と近代的な駅ビルに変わりました。

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駅舎の内部です。ヨーロッパの駅はそれぞれ個性があってなかなかよろしい。
日本の駅ビルとは随分と違います。但し、機能的には雨露しのげればいいと
いう単純なものですから、カフェテリアが数軒あるくらいの簡素なもので、日本
のようにショッピングセンターが付属してという訳にはいきません。
車社会の世界と公共交通手段の世界一発達している日本の構造的違いが
極端に分かる景色です。

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駅前を走る電気軌道バス。フランスの地方都市はこうした軽便鉄道が多い
ようです。
慣れないで車道を歩いたりすると、いきなり後ろから音もなく迫られて焦ったり
することも。

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今回も前回同様にネットのbooking com.にお世話になって、日本でホテルは
全部予約。写真は最初の宿泊ホテルの「Best Western Hotel D'Arc
です。
画面最右端がもう駅傍のショッピングセンターという立地の駅前旅館です。

Best Westernというと割合大きなホテルチェーンという認識でしたが、こう
いうこじんまりしたホテルもあるんですね。ボクはシティ・ホテルよりこういう
駅前旅館みたいのが好きな方ですが、予想にたがわずいいホテルでした。

さて、到着して荷物もほどかず、早速街中探訪に出かけます。


(続く)


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2011年06月23日

フランス紀行’11(1) 旅はパリから始まった


旅のしょっぱなにちょっとした大トラブルに見舞われ、一日遅れの出発
でありましたが、無事パリに早朝到着。到着と同時にこちらの駅に移動。
(大トラブルというと皆さんお喜びになるので、今は書かないの。爆)

こちらはパリの東京駅と言ったところでしょうか。オステルリッツ駅。
セーヌ川の左岸にある始発終着駅。

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ここからフランス中央部のロワール河の湖畔の都市オレルアンを目指します。
高速鉄道で約1時間の旅程。
フランス国鉄はSNCFという略号で知られていますが、今回は日本で代理店
経由で予約。前回旅行では現地で買っていたのですが、SNCFのダイヤが
ネットでは良く分からず(というか、日本語だったか英語のHPから見ていたの
と現地のダイヤが随分違っていましたので)、今回はかなり安心して乗れました。

世界の鉄道が日本に居ながらにして予約できるとは便利な世の中になりました。

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ヨーロッパは落書き文化。昨年はこの有難迷惑なムーブメントが日本にも
押し寄せ、一体どうなるんだろうと心配もしましたが、その後定着しないよう
で、ちょっと安心したりして。

それにしても、彼らの感性の鋭さにはちと驚嘆を覚えることもしばしば。
上の二枚の写真はオステルリッツ駅構内の作業場として使われている
コンテナの壁に描かれたものなんですけど。下の絵は実際のガラリ(換気
窓)をサングラスの左眼にそのまま使って。
おまけに英語で「I Love Train」だって。これじゃ、やられた方も苦笑
するしかないでしょう(笑)

なんやらSNCFが自分でコマーシャルやってるんじゃないかと疑ったりして
(笑)

こういうのをフランス人のエスプリと言うんだろうかと思ったり。





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posted by belage at 16:03| 東京 ☀| Comment(12) | TrackBack(0) | フランス紀行!11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする