シャンボール城のファサードの一部です。
この城の主は当時即位したばかりのフランソワ一世。イタリア遠征で
見た、当時隆盛を誇ったイタリア・ルネッサンスの華麗な建物を見て
びっくら仰天。恐らく、こりゃフランスもこれに負けてはいけないと
思ったんでしょう。帰国後速攻でこの城の建築に着手しました。
設計はイタリアのドメニコ・ダ・コルトナという人であったそうな。但し
1519年から1547年の間に、相当の改築の手が加えられ、原型は
留めていないという。
この城の主は当時即位したばかりのフランソワ一世。イタリア遠征で
見た、当時隆盛を誇ったイタリア・ルネッサンスの華麗な建物を見て
びっくら仰天。恐らく、こりゃフランスもこれに負けてはいけないと
思ったんでしょう。帰国後速攻でこの城の建築に着手しました。
設計はイタリアのドメニコ・ダ・コルトナという人であったそうな。但し
1519年から1547年の間に、相当の改築の手が加えられ、原型は
留めていないという。
イタリアのルネッサンス様式とフランス中世の伝統建築様式の融合で
あったとして、フレンチ・ルネッサンス様式とか呼ばれているそうです。
ボクの不遜な見方からすると妙にゴテゴテして見えるのですけど・・・
因みにこの塔屋群の稜線は、やはりフランソワ一世が遠征で見た
コンスタンチンノープルのスカイクレーパーをイメージしたんだという
説がありますが。
まぁ、これが後のベルサイユ宮殿に見られる華麗なフランス建築様式
に繋がる礎なんでしょうね。
あったとして、フレンチ・ルネッサンス様式とか呼ばれているそうです。
ボクの不遜な見方からすると妙にゴテゴテして見えるのですけど・・・
因みにこの塔屋群の稜線は、やはりフランソワ一世が遠征で見た
コンスタンチンノープルのスカイクレーパーをイメージしたんだという
説がありますが。
まぁ、これが後のベルサイユ宮殿に見られる華麗なフランス建築様式
に繋がる礎なんでしょうね。
城の翼棟との繋ぎには開放のらせん階段が見えます。この地方は決して
雨が降らないわけではないと思うのですけど、よく開放でやったなぁと
思ったりして。
この城の居室は440、暖炉が365、階段が74か所。なんだか数字を
見ただけで気が遠くなりそう(笑)内部を見学しましたが、恐らくボクの見た
のはそのほんの一部なんでしょう。それでも結構疲れたですよ(笑)
雨が降らないわけではないと思うのですけど、よく開放でやったなぁと
思ったりして。
この城の居室は440、暖炉が365、階段が74か所。なんだか数字を
見ただけで気が遠くなりそう(笑)内部を見学しましたが、恐らくボクの見た
のはそのほんの一部なんでしょう。それでも結構疲れたですよ(笑)
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Phoenix 東北&関東
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