2006年12月26日

映画「ホテル・ルワンダ」で思い出すこと


この間、標記の映画鑑賞録で書きましたが、このルワンダ
にまつわる思い出を少々。

過去にも書きましたが私自身はケニアに駐在していたこと
がありました。その事務所で部下が何人かいたのですが、
その一人がルワンダ難民の女性。

映画の主演女優のソフィー・オコネドーに勝るとも劣らない
美人さんでありました。物静かな必要なこと以外殆ど喋ら
ない人でありました。何でも彼女の出自は内乱前の政府閣僚
の娘さんであったとか。

英語、フランス語を完璧に操る人でありました。その才能
を買って我が事務所に来て貰ったのですが。

彼女は5年以上勤めていたのかな。それがある日突然に休暇
が欲しいと。予定は1週間。平常に戻ったとは言え、ちょっと
心配なこともあって、「大丈夫かい」と念を押したのですが。
彼女、ちょっとアンニュイな笑みを浮かべて「大丈夫、何か
あったら直ぐ帰るから、ちょっと親戚でトラブルがあった
ので」と。

それが彼女との最後の会話になりました。その後数ヶ月経って
も戻って来ません。彼女の帰国先もこちらは分からずで、結局
ケニアの住所に半年して解雇通知を郵送してということに
なった次第です。給与もボーナスも支払うべき金額があり、
彼らにとっては決して小額の金額ではなかった筈ですが、未だ
何等音沙汰なし。

もしかしてあの内戦の影響が未だあるのかしらと、未だに
思い出しては心を痛めているのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もうひとつは、これは私がケニアに赴任する前の話。ルワンダ
の隣国であるタンザニアでの話し。ルアンダに国境を接する
某所で水道プロジェクトを行っておりました。計画段階
では、ルワンダ難民(映画でも最後の方でこのあたりのシーン
がありました)が数十万人規模の難民キャンプを作っていた
ところです。その後、内戦が終結して難民も祖国に帰り、2万人
位の規模になりましたが、劣悪な環境に変わりはなく、特に
水不足は深刻でありました。

計画の段階では国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)があり、
こちらとのタイアップ援助ということで、彼らの支援(特に
安全面)が受けられる予定でありましたが、既に難民の殆ど
が帰ったということで、UNHCRは退去し治安が相当悪くなった
時期に我々は入ったのです。

私自身はこのプロジェクトの責任者として出張で入ったの
ですが。1週間いて毎日昼食べたのは村の最高級レストランで
痩せたフライド・チキン二欠け(量ですと焼き鳥一本分も
ないかな)、石混じりの蒸したライス二口、ひからびた
フライド・ポテト五欠けのみ。夕食は、UNHCRのキャンプの
後に残されたホテル(なんと宿泊客は私達だけ)で毎日
ハンバーグ・ライスという状態でありました。ホテルで出る
水は茶褐色の水でありましたので、歯磨きは何故かコーラか
炭酸飲料を使って。毎朝カニさんみたいに口から泡ぶくを
出しておりましたっけ(爆)

お蔭で帰国した時は10KG以上痩せて帰れました。痩せたい
と死ぬほど願う日本の乙女達(含むおばさん)、一度アフリカ
にいらっしゃい、三日で10KG痩せられる場所をご紹介します
(笑)

勿論、工事関係者の宿舎はあって、日本食を含む料理は
こちらで食べられるのですが、こういう環境下、乏しい
食料を私のような大食漢(もう一人連れがいて、これはもっと
大食漢)が食べるのはそれこそ「MOTTAINAI」ということで
遠慮をして到着の日の晩に一回ご馳走になっただけであり
ました。尤も、夜治安が悪いので、宿舎からホテルまでの
夜道を歩いて(或いは車で)帰る度胸がなかったという事実
もありますが。

さて、無事にプロジェクトの進捗を管理してタンザニアの
首都ダルエスサラームについて、美味しい食事をレストラン
でとっておりましたところに、緊急連絡が。

何と、我々が朝、現地を立ったその昼過ぎに宿舎が強盗団
に襲われ金品が強奪され、不運なことに現地雇用の三人が
銃で撃たれ一人が死亡、二人が重体というニュースであり
ました。幸いと言っては語弊がありますが、もう一人いたの
ですが、何故かその時シャワーを浴びていて強盗団は見過
ごしたようであります。その生き残った一人の話では殺さ
れた従業員と強盗団は顔見知りであったそうで、素性が
割れるのを恐れて銃を使ったということでありました。
昼でありましたので、日本人を含む全員が現場に出ていた
ので難を逃れることが出来ましたが。

ここで判明したのが、強盗団はルワンダ難民であったこと。
生きるためにはということでこういう悪行に走る輩は結構
居る訳ですが、それを救うために仕事をしている連中まで
殺す。なんともやり切れない思いです。

この難民達はもうひとつの隣国、ザイール(現コンゴ民主
共和国)で政情不安の原因となり時の政権を倒すまでの
パワーとなりました。こうした難民の問題は決してルワンダ
一国の問題ではなく、元々政権基盤が脆弱な多くの隣国を
も揺るがす事態に発展することになります。

多くの国は難民を受け入れていますが、その土地は国有地
なぞ殆どない訳で、私有地である可能性が高いわけです。
そして既にいる住民達との軋轢が世界の至る所で起きていま
す。

北朝鮮の崩壊を望む国は多いのですが、中国が「NO」を突き
つけられない大きな理由はこういう事態を予測しているから
でありましょう。

翻ってみればイラクはまさに内戦状態であります。戦争で
既に数百万が避難しているでしょうが、今後この内戦で
更にその数は幾何学的に増えるんでしょうね。政治的にも
宗教的にも複雑なこの地域、アフリカと比較してモスリム
の宗教的な相互扶助の精神は高いとは言え、戦後復興だけ
を日本政府は考ええていてはいけません。こういう難民が
逃げていった周辺諸国の安定を今の時期に真剣に考えない
と大変なことになるでしょう。パンドラのハコを開けて
しまった以上、イラクの宗教問題は良い悪いは別として
フセインという重石がなくなった今、収拾に向かうのは
別の英米以外の力が必要かも知れません。

日本は寧ろ自衛隊支援のイラク特別法を見直して、こういう
難民救済に力点を置いた援助プログラムも視野に入れるべき
でありましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

と書いていたら、25日のクリスマス、ソマリアに隣国
エチオピア軍が軍事行動と
。これが難民問題の最悪の
ケースかも知れません。治安悪化が隣国まで影響する歴史の繰り
返し。更にエチオピアと仲の悪いエリトリアも軍事活動を
起こす可能性もある。

いやはや、ソマリアの内戦は米国が見捨てたことが原因。
アフリカの傷跡は永遠に癒えないものなのでしょうか。

何れイラクもそうなるんでしょうね。





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posted by belage at 14:49| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | KOKUSAI | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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