2011年06月30日

フランス紀行(11) ロワール川を行く オルレアンI 街角風景


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緩やかなR(アール)の続く街区。壁面線と高さが揃えられて。
こういう景色は日本ではまずお目にかかれません。


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マルトロワ広場に繋がる道。この広場は確か五差路か六差路
になっていたかしら。どこからでもジャンヌの姿が見えるという
寸法です。



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市の人口は約11万人。我が調布市の半分以下。日中暑いという
こともありますが、目抜きの通りでもこんな人出。殆どが観光で
成り立っているのかと思ったら、意外と製造業も盛んでした。

世界的な製薬会社サノフィ・アベンティスの拠点とか、驚いたのは
ディオールやら資生堂の化粧品製造業が盛んなのだそうです。

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面白い屋根のカタチをした建物が。ここもアラブの影響があったん
かしら?


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目抜き通りを一歩入るとこんな中世の街並みが。旧市街地です。


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フランスでもカワセミさんは人気みたい。ロワール川という自然が
残ってますからねぇ。




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2011年06月29日

フランス紀行 オルレアン大聖堂


別館にオルレアン大聖堂のステンドグラスを中心とした記事をアップ
しました。




Rolling 55 別館


posted by belage at 16:31| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | フランス紀行!11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フランス紀行(10) ロワール川を行く オルレアンH 街角風景


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前出(↓)のマルトロワ広場の一角です。
遠くにオルレアン大聖堂の尖塔が見えています。


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大聖堂を背に、門前の参道を。


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この参道のビルの数か所にこんな縦型のプランターが。フランスは原発
大国ですから日本と違い節電なんてないのですが、街の飾りとしての機能
でしょうか。
これはなかなか洒落てます。日本でも流行らないかしら。



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この日も結構陽射しが強くて。散策に疲れて、大聖堂前のカフェでお茶。
もとい、頼んだのはビールでございまする(笑)
乾いた喉にビールはとってもおいしゅうございました(笑)とてもワインなぞ
飲む気になれない、それくらいの暑さ。


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お隣のお兄さん二人組も同じくビール。良く似た顔立ちをしていて、
体型もそうなんですけど。こちらもビール。フランス人はワイン
一点張りと思ったら。
手前のお兄さんが左手に持っているのは、

なんとソフトクリーム


ソフトをぺろりと舐めて、その後ビール!
ボクには真似のできない芸当でありました。
こういう方は尊敬しちゃう(笑)




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2011年06月28日

フランス紀行(9) ロワール川を行く オルレアンG マルトロワ広場のジャンヌ・ダルク


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こちらはオルレアンの駅前通り。このどんつきが国鉄のオルレアン駅と
なります。なんやら間口の狭い商店で、さっと通りすぎるとなんの店か
分かりませんが、結構高級ブランドを飾っている店があったりして。

ここら辺はいつも思うのですが、日本とは全く違う様相です。いかにも
「わたしゃブランドだぁ」という顔をしないで、さりげなく店を構えている。
考えてみれば京都辺りを散策してふと通りすぎてしまう老舗という感じ
なのかしら。

ブランド、ブランドと騒ぐのはやはり「遅れてきた国の人でしょう」という
ことなのかも。日本だって、セイコー、ソニーのお店があっても「あ、そう」
てなもんでしょうから(笑)


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さて、駅前旅館から駅前商店街を歩いて5分のところに、このマルトロワ
広場があり、まさにこのオルレアンのシンボル広場となっています。
広場の中央には、オレルアンの少女、ジャンヌ・ダルクの銅像が。

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広場はランダーバードという円形の交差点になっています。
この中央の建物に注目。ヨーロッパの街角ではよくこうした
先端が細くなっている建物に出くわします。♪なんでだろう、
なんでだろう♪と(古っ)思わず訝しがるのですが。

暫くこの位置で建物を見てふと気付いたことが。ランダーバード
は未だ車社会でない頃の交通体系のひとつ。主たる交通
機関は馬車であった頃の名残り。車の場合は「急に止まれない」
ですが、馬車の場合は「急に曲がれない」が理由じゃないかしら。

それゆえに街区のコーナーはこうして丸みを持たせたんだと
推論した次第です。こちらの場合は円弧で処理していますが、
面取りしたカタチ、台形のスタイルも時々お目にかかれます。


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フランス・イタリア・スペインは世界の自転車大国。なんと言っても
ツール・ド・フランスを擁するフランスです。道行く親子連れのこの
スタイル!それこそ、日本のような狭い道路で車びゅんびゅんの
世界ではとても怖くてこんな恰好は出来ませぬ。

我が駅前旅館の傍の舗道に沢山のレンタサイクルの置き場が
あって、この種の自転車も沢山置かれていました。いいですね、
パパとこうして一緒に旅ができるなんて。子どもにとっては最高
の思い出になるでしょうね。


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街角で見つけたこのカフェ・カーテン。素敵でしょう。
日本ではなかなかお目にかかれないデザイン。色の配色も
見事です。
その後フランス滞在中に結構この種のカーテンを探しましたが、
残念ながら見つからず。レースの無地ものは結構あったん
ですが・・・


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バルコンのプランター。手すりのデザインがまたいいなぁ。



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posted by belage at 08:21| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | フランス紀行!11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月27日

フランス紀行(8) ロワール川を行く オルレアンF「オルレアン大聖堂」


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およそ1KMは続くであろう参道の先にはオルレアンの中心、
オルレアン大聖堂」があります。

正式名称はLa Cathedorale Sainte-Croix d'Orleanes
です。日本語に直すとオルレアン聖十字架大聖堂となるのでしょうか。

都市計画と言えばパリの中心街、特に凱旋門を中心とする
シャンゼリゼ・ルーブル辺りはは世界に誇るものでしょう
けど、地方もこういう素晴らしいものがあります。
このヴューを見て、思わずため息が。

日本でいえば門前町となるのでしょうけど、それと比べると
あっけないほど商店が目立たない。大聖堂の前にレストラン
が一軒と、カフェ、ブランド品店が数軒あるくらい。やたらと
目立つ看板なぞは全くないし・・・


第二次世界大戦中ドイツ軍の物資補給の戦略拠点として
占領され、それ故フランス解放の際に連合国軍の米軍の
激しい爆撃に晒されたこの街。

見事に往時の姿を復活させていると驚嘆です。


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典型的なゴチック様式の教会ですが、開基は5世紀中ごろで、
その後ノルマン人の侵略により廃墟に。9世紀に入り西フランク
王国の手で再建されるも、999年には大火で消失。

その後再建された直後に大聖堂に格上げされたのを期に大改造
がなされ、現在とは違うロマネスク調の教会として急遽再建される。
その建物も1227年には身廊と内陣の大部分が崩壊という目に
遭っています。




P1130167.JPG

そして1258年当時のルイ6世の曾孫のロベール・ド・クルトネが
当教会の大司教に選出、これを期に崩落部分を改修せず、新たに
ゴシック様式で大改造が行われました。

百年戦争の際には不思議とこの建物は被害を被っていません。
ジャンヌ・ダルクもオルレアン解放直前の1429年5月2日にこの
教会でミサを授かっています。

この教会の過酷な運命は未だ続き、カトリックとプロテスタントで
争われた宗教革命の最中、フランス国内の内戦となったユグノー
戦争
により、尖鋭的なプロテスタント教徒により内陣に火をつけられ
教会は崩壊してしまいます(1568年)

ユグノー戦争は1598年終結をみますが、その年国王アンリ4世は
当地に立ち寄り再建を確約、1601年に再建が始まります。完成
したのはなんとフランス革命を経ての1829であります。

更に1854年には鐘楼が傾くという事件があり、再び取り壊され
現在のカタチに納まるのは1858年と言う数奇の運命を辿り
ました。


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ちょっと珍しい薔薇窓の地模様です。


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一連のステンドグラスは一番最後の再建後の設置で、1859年
のものです。
やはりデザインに斬新なところが見られると思います。


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度重なる災厄を乗り越えて。マリアの祈り。



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別館を作りました


前にもちらっと呟きましたが、こちらのプロバイダーさんのキャパが
丁度半分の1Gを超えて、残り1Gとなりちょっと焦っておりました。

てなことで、今回の旅行記も相当大量の写真をばら撒くことになり
(誰ですか、公害だというのは 笑)、一部をこの別館で展示すること
にしました。

こちらは容量無制限なので、心強いです。それと文中の言葉の意味を
調べたいときにリンクが自動的に入るので、結構便利かもしれません
(うざいという声もありますが 笑)

それとちょっと大き目の写真が貼り付けられるので、だいぶ印象が
違うと思います。

どうぞこちらも時々覗いてみて下さい。
よろしく(ぺこりん)


Rolling 55 別館


posted by belage at 12:30| 東京 🌁| Comment(6) | TrackBack(0) | BBS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フランス紀行(7) ロワール川を行く オルレアンE「ノートルダム寺院」と黒いマリア


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フランスではノートルダムと名前のつく寺院はパリのカテドラルを
始め沢山存在します。
市内探訪で見つけた小さなこのノートルダム寺院。旅行案内書にも
名前が出てこないような寺院ですが、中に入ってびっくりでした。

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正式名称は「奇跡のノートルダム(Nortre-dam Des Miracles)」と
なっていました。後ろにMiraclesと複数形になっているのがなんとも気
になりますが(笑)、残念ながらその詳細は分かりません。

因みにNotre−Damの意味は英語で言えば「Our Lady」でちょっと
味気ない。
「我らが貴婦人」、即ちキリスト教では「マリア」のことを指します。

ヨーロッパのキリスト教はボク等門外漢から見るとマリア信仰が強いと
感じるのですけど、この寺院はまさにマリア命と言ったところでしょうか。

上の写真は主祭壇。こじんまりとした教会ですが、この主祭壇を彩る
ロマネスク調の意匠は結構目を見張るものがありました。


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建物は平屋根。ゴシックのお定まりの薔薇窓はありませんが、天井に
沿って一面に貼られたステンドグラスは見応えがありました。


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そして主祭壇の中におわすのはマリア様ですが・・・
あれっ、なんか変!

P1130133.JPG


近づいてみたら、なんとなんとスペインのモンセラットで見たのと
同様に「黒いマリア様」ではありませぬか。

フランスの内陸部でこの黒いマリアに出会うとは、ちょっとびっくり。
実は今回の旅で黒いマリア様とは他所でも数回お会いすることに
なるのですが・・・

因みにマリアとキリストの姿・顔はモンセラットのとはかなり違い
ます。大きな違いは向こうは座位、こちらは立位です。
こちらの写真と見比べてみて下さいね。

もしかして「奇跡のノートルダム」とは、この黒いマリアを指すのかも。
でも、表記は複数形になっているので、未だ他にもあるのかなぁと
思ったりしたのですが・・・



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副祭壇にはジャンヌ・ダルクの横顔の像が。この姿が旗手を
務めた彼女の実態に近いものでありましょう(実際に彼女は戦い
で剣をふるったことはないそうです)。

他一つの奇跡は彼女が英国軍包囲のこの町を救ったことを指すの
かも知れません。

因みに宗教異端審問で有罪判決を受けた彼女は、その後近世に
なり裁判の誤りを認められ復権し、聖女の列に叙せられています。




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2011年06月26日

フランス紀行(6) ロワール川を行く オルレアンD「Hotel Groslot( グロロ邸)」


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グロロ邸の正面ファサードです。
斜めのタイル張りがとてもきれいな外観ですね。
こちらは内部の一部も無料で公開。有難いことです。

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建物正面には「オルレアンの少女」、ジャン・ダルク像が。
色々な書きものを読むと、彼女は日本の義経とは違い、戦闘で
功を上げたということではないようです。寧ろ、殺戮そのものには
参加せず、シャルル軍の旗手として先頭を切って参戦していた
ということであったそうです。

彼女自身の緒戦では矢を受けているそうですが、その時は痛い、
怖いと泣いたそうな。そういう等身大のところがまた愛される
由縁かも。

それにしても、たかだか14,5歳の少女が大人もひるむ醜酸な
戦いの場で、先陣を切って走る様は、否が応でも味方の将兵
を鼓舞したことでありましょう。


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正門の飾り。花柄模様をうまくあしらってますね。


P1130076.JPG



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さすが、この地域の代官所ともなると贅をこらした内装です。但し、金に
あかしたという風情ではなく、落ち着いた品の良さがありますね。

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部屋に飾られたジャンヌ・ダルクの肖像。概してフランスの女性はとっても
小顔ですが、表の像といい、この肖像画といい、ホントに顔が小さい。
一緒にいた横の奥様が「はぁ〜〜」とため息を(爆)




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2011年06月25日

フランス紀行(5) ロワール川を行く オルレアンC 「Hotel Groslot( グロロ邸)」


P1130059.JPG

オルレアンの街中探訪で偶然見つけたこの瀟洒な建物。古い街並みの
中でもとりわけ異彩を放つとてもキュートな外観です。

丸屋根と二階外壁のタイルの装飾が素晴らしい。
帰国して色々調べたのですが、多分「Hotel Groslot」という建物では
ないかと思います。この地方の代官であったグロスロという人の邸宅で
あったようです。1555完成だそうです。
現在見えているのは建物の裏側の付属棟の一部です。
次回には正面玄関から入りますのでご安心を(笑)

P1130061.JPG

この建物の敷地の片隅にある古びたロマネスク風の建築物。隣にある看板を読むと
Chapelle De St. Jacques(聖ジャック礼拝堂)となっていました。15世紀の
建造で1883年修復とありました。

P1130062.JPG

アーチの内側に見える細かい彫刻が素敵です。

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お隣に生えていた高木の緑葉がきれいで。なんと垂直に葉が出て
いました。
丸い小さな薄緑色の実も一緒に写真に収めて。



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フランス紀行(4) ロワール川を行く オルレアンB 「ジャンヌ・ダルクの家」


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オルレアンと言えば欠かせないのがジャンヌ・ダルク(Jeanne 
D'arc)。
英国の侵略を受けていたフランスを救った英雄(女性も英雄と言っ
ていいのだろうか。「女傑」というには少女に対して申し訳ないので
使えませんが)。

1412年1月生まれの彼女は1425年14歳の時に聖カトリーヌ、
聖マルグリッド、聖ミシェルの声を聞いたとされます。その声を届
けるため当時空位であったシャルル王太子(後のシャルル7世)
と面談し、1429年にはイングランド軍の包囲にあったオルレアン
に出発、勇猛果敢にシャルル軍の先頭に立ち、7か月に及ぶ包囲
網を打ち破る原動力になり、このオルレアンの一戦がジャンヌ・
ダルクの名前を不動のものにした訳です。

その後も戦勝を続け、三聖人からの声のひとつ「ランスにおける
シャルルの戴冠式」を執り行うことをシャルルに提案。敵中の都市
であるランスでも英国軍を打ち破り、百年戦争の最中長らく空位で
あったフランス国王の復権という大偉業を成し遂げた。

そしてジャンヌはフランス救国の英雄として注目を浴びることに
なり、シャルルもフランス国王の権威復活を成し遂げるわけです
が、これ以降安定を望む国王と完璧な勝利を目指すジャンヌとの
間には徐々に溝が出来て行くことになります。

どの国の歴史でも時代の寵児という人はいますが、時代時代の
潮目でその役割を終え、密かに表舞台から消えた人も数少なく
ありません。
ジャンヌの場合は逆に時代に取り残され、その後待ちうける悲劇
によって現代でも語り継がれる英雄となりました。その悲劇はまた
後ほど。

日本で言えば義経伝説に似たような経緯があるのかなぁ。

そのフランスのシンボルともいえるジャンヌ・ダルクがオルレアン
で構えた居が写真の住居。先のサン・パテルネ教会から徒歩
数分のところ。周囲の石造りの建物と一線を画す、木組み工法
の建物ですので、直ぐ分かります。

これから分かるように、現代のフランスの多くの都市は石造りの
建物ですが、当時はこうした木組み工法の建物であったんで
しょうか。街の中心を暫く歩いて見ましたが、他に同工法の建物
が数軒残っていました。但し、殆どは飲食店で、木の状態から
見ると最近の建築のように見受けられましたが。


P1130121.JPG

この工法はヨーロッパではドイツ以北によく見られる伝統建築
ではあります。フランスでもアルザス・ロレーヌ地域ではよく見
られたと記憶しています。


P1130122.JPG

内部に入って見て見たかったのですが、残念ながらこの日は
内部補修中で、立ち入り禁止になっておりました。実際には
ジャンヌに関する古文書等が展示されているようです。中世の
フランス語なぞボクにはとても理解不能ですので、見ても猫に
なんちゃらではありますが(苦笑)

ボク自身はジャンヌは伝説上の人物だと思っていましたが、
実在していたんですね。最終的に彼女は異端審問にかけら
れて死ぬのですが、その裁判記録も相当残っていて、結構
歴史的裏付けがなされていると聞きます。


P1130125.JPG

建物の裏側に回ると。あれっ、随分とのっぺりとした表情(笑)

外壁はペンキ塗りのようですが、かなり新しく塗装された感じが
しました。

因みにジャンヌ・ダルクはこの家に1429年4月24日から5月
9日まで滞在していたそうです。生憎家そのものは第二次世界
大戦で破壊され、現建物は復元されたものでありました。




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posted by belage at 07:35| 東京 ☀| Comment(8) | TrackBack(0) | フランス紀行!11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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